A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

知能と遺伝をめぐるおはなし

前回の記事(→遺伝をタブー視する社会の中で - A Critical Thinking Reed

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

親の収入と子どもの学歴をめぐって

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こうした記事にもみられる通り,親の収入と子どもの学力に関しては「相関」関係がみられることが指摘されてきた。同書ではこのようにまとめている。

親の収入と子どもの学歴にも同様の「疑似相関」がある。知能が遺伝するという事実を受け入れるならば,「知能の高い親は社会的に成功し,同時に遺伝によって子どもは高学歴になる」という因果関係ですっきり説明できるのだ。[p.38] 

疑似相関とは,本当は因果関係のない2つの変数が,潜伏変数によって因果関係があるように推測されてしまうことをいう(参照→擬似相関 - Wikipedia)。同書によれば,遺伝の事実を受け入れれば因果関係とすることができるというのである。いくらなんでも飛躍のある論理ではあるが,「遺伝」が潜伏変数になりうるという考え方は重要に感じる。

利害関係の問題

同書では,教育心理学者ジェンセンの指摘を参照しながら,知能の遺伝規定性が高いという事実が真であれば,アメリカの「ヘッドスタート」(参照→ヘッドスタート - Wikipedia)政策は教育関係者の利権につながるだけの「科学的根拠のない」政策であるとしている[p.38-41]。更に,ハーンスタインとマレーの『ベルカーブ』を紹介し,黒人に対する「アファーマティブ・アクション」への批判的な論などを紹介している[p.41-45]。その上でこのような批判を行っている。

教育関係者は「知能の遺伝率はきわめて高い」という行動遺伝学の知見を無視し,説明責任を放棄したまま,「教育にもっと税を投入すればみんなが幸福になれる」と主張して巨額の公費を手にしている。
「知識社会」とは,知能の高い人間が知能の低い人間を搾取する社会のことなのだ。[p.72]

先にも出てきた「イデオロギー(お話)」として遺伝が否定される背景には,利権が絡んでいるのではないかと指摘した上で,政策は「科学的」であるべきだという主張をしている。だが,この論点こそが最も難しいということをここでは繰り返しになるが書かなければならないだろう。ナチスドイツの人種差別政策,世界各地で行われた「断種」政策など,国家的な差別政策は「科学的」という名の下で正当化されてきた歴史がある。「科学的」が絶対的な正解になりえないことはこうした歴史が証明しているのである。同書の言葉を借りれば「人種差別の隠れ蓑」とされやすいという事実に繰り返し向き合う必要があるだろう。

脳科学による犯罪者早期発見システム

最後に「知能」とは少しずれるが,犯罪者早期発見システムの話を書いておきたい。同書では,エイドリアン・レインの「ロンブローゾ・プログラム」という仮説を引用しながら論を展開している。ロンブローゾは「犯罪人類学の父」とも呼ばれているイタリアの医師である(参照→「犯罪人類学の父」チェーザレ・ロンブローゾとは何者か?|WIRED.jp)。詳しくは,こちらで紹介されている本『暴力の解剖学 : 神経犯罪学への招待』をお読みいただきたい。

さて,同書の指摘に戻ろう。

イギリスでは,刑務所から釈放された犯罪者の再犯が問題になり、2003年に「防衛のための拘禁刑(IPP)」プログラムが発足した。これは、以前なら終身刑にならない被告を再犯の危険度によって無期懲役にする制度で、(以下略)。[p.115]

イギリスでは2000年に,精神科医たちの異議を無視して「危険で重篤人格障害(DSPD)」に対する法律が制定され,その法のもとで危険だと考えられる人物を,たとえなんら犯罪を犯していなかったとしても,警官が逮捕し,検査と治療のためと称して施設に送ることができるようになっている。
このように,現在でも「人権」を侵害した犯罪者予備軍の隔離は公然と行われている。[p.115]

問題は犯罪者(もしくは犯罪者予備軍)の人権侵害ではなく,こうした”人権侵害”が非科学的で粗雑な方法で現実に行われていることだ。だとすれば,神経犯罪学の最先端の成果を活かして,より科学的に正しい方法で犯罪を管理したほうが,社会にとっても,当の犯罪者にとっても,状況は今よりずっと改善するのではないだろうか,[p.116]

書きながら,「プリ・クライム」という番組のことを思い出していた。(BS世界のドキュメンタリー シリーズ すぐそこにある脅威 「プリ・クライム~総監視社会への警告~」 | 番組表検索結果詳細 | NHKクロニクル)レインがここで「仮説」として紹介した社会はもうすでに実現しかけているのである。

確かに非科学的な人権侵害は問題である。こうした「犯罪者予備軍」認定は,いわゆる「レイべリング論」と通じる。特にその中でも非科学的かつ恣意的な運用の問題は「セレクティブ・サンクション」の問題として扱われる。

セレクティブ・サンクション(selective sanction)

人が逸脱者というラベルを貼られるのは,逸脱行動のゆえにというよりも,社会的マジョリティによって定められた同調・逸脱に関するルールが恣意的に適用されたためである。したがってこのラベルは,とりわけ社会的弱者に適用されやすい。 

出典:水津嘉克.(2012). 逸脱 (排除対象) 分析枠組みとしての 「レイベリング理. 東京学芸大学紀要. 人文社会科学系. II, 69, 99-107.

セレクティブ・サンクション的な人権侵害はたしかに問題であるが,最先端の科学の知見を活かした人権侵害は果たして”恣意的ではない”と言えるのだろうか。そもそも,こうした「予防」的発想は,ドイツ優生学において,シャルマイヤーが医療を「治療から予防へ」と提言した時と同じニオイがするのは私だけだろうか。非科学的な人権侵害が許されないということよりマシだから科学的な人権侵害が許されるのか。落ち着いて議論する必要がありそうである。