A Critical Thinking Reed

学びのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

恋人を欲しいと思わない青年について

これまでの恋愛心理学の研究では「恋人を欲しいと思うのは当然」という認識のもとで,実際の恋人に対する調査が中心に行われてきた。しかし,現代社会においては,恋愛願望が高くない(持たない)青年というのも一定の割合で存在することが指摘されている。たとえば,髙坂(2013)は,全国の大学生1530名に対して質問紙調査を実施しているが,307名(20.1%)が恋愛不要群であることが指摘されている。実を言ってしまえば,私自身も「恋人を欲しいと思わない青年」の一人である。

早稲田大学で「恋愛学」という講義を開講している国際政治学者の森川(2015)によれば,現代の若者はコミュニケーション能力が低いため,恋愛したくても恋人ができず,そのようななかで,恋愛の楽しさを認めてしまうと,恋愛ができない自分がみじめになるため,「恋愛は面倒くさい」などいう言い訳を並べ,恋人を欲しいと思わないことで自己正当化しているという(髙坂, 2018)。私は別に,恋愛ができない自分をみじめに思っているわけでもないし,自己正当化しているつもりもない。かつて恋人がいたこともあるが,今の自分は恋愛をしたいわけではないという状況である。森川(2015)がどのような調査をしてこのような見解を示したのかは分からないが,自分の知り得る(他の知り合いも含めた)「恋人が欲しいと思わない青年」の特徴に合致しているとは言い難く,そもそも恋人がほしくない理由がたった一つで説明できることも理解できない。まぁ,国際政治学者がなぜ「青年の恋愛」を偉そうに語っているのかよくわからないし,しかもそれが合っていないとなれば,学問どうこうの前に非常に不愉快である。

*森川(2015)について書かれているブログがありました。→(恋愛しない若者たち<識者はどう見る?> : わたしが思うこと...あれこれ..

そういう意味では,本稿で紹介する髙坂康雅先生は,先に紹介した髙坂(2013)や髙坂(2018)をはじめ,恋人を欲しいと思わない青年に対しても非常に丁寧な分析をされている。そこで,本ブログでは,髙坂(2013)をもとに,恋人を欲しいと思わない青年がなぜそう思うかについて述べていきたい。

今回の論文

髙坂康雅. (2013). 青年期における “恋人を欲しいと思わない” 理由と自我発達との関連. 発達心理学研究, 24(3), 284-294.

自分自身のこと

学術的でない体験談から述べていく。なぜ,私が恋人を欲しいと思わないか。理由は実際のところ「なんとなく」なのだが,そう言ってしまうと埒が明かないので,自分なりに考えてみると,いくつかのポイントに集約される。

一点目は,昔の恋人への意識だろうか。(相手がいまどう思っているのかは知らないが)自分としては感謝の思いも大きいし,そんなに悪い関係性ではなかったと思っている。喧嘩もしたが。楽しかった思い出もある。そんなことがあってか,どこか次の恋愛に向かおうという気持ちが弱いのかもしれない。

二点目は,これが一番大きい気がするのだが,恋人との時間を過ごす余裕がないという点である。デートする時間があるくらいなら論文を読みたいし,本を読みたいし,自分の時間を過ごしたいという思いが強い。さらに言えば,恋人と過ごせるような金銭的余裕もないと言えるかもしれない。その時間があればバイトに充てないと十分な生活はできないような状況である。

三点目は,人間関係(全般)にエネルギーを注ぎたくないという気持ちである。高校時代,彼女がいた頃は連絡も多くとり合っていた。裏を返せばその分,彼女との時間を大事にしていただけでなく,自分のエネルギーも彼女のために使っていた。他の友だちとも密に連絡を取り合っており,人間関係にたくさんのエネルギーを注いでいた。しかし,現在は一人暮らしということもあり,エネルギーについてもある程度節約して生きていかなければ厳しいという思いがある。そうなってくると,人間関係において余計なエネルギーを使いたくないので,人間関係を全般的に希薄化させる方向に意識が向いているような気がする。無論,恋人に対してもエネルギーを使いたくないので,恋人を作ろうという方向には気持ちが向かないのである。

髙坂(2013)の見解

髙坂(2013)によれば,恋人を欲しいと思わない理由は大きく6つに分類できるという。

1つ目が「恋愛による負担の回避(負担回避)」であり,恋人がいることによって生じる,精神的,時間的,経済的負担を回避したいという心性である。

2つ目が「恋愛に対する自信のなさ(自信なし)」であり,異性に対する魅力や異性との付き合い方に関する自信が持てていないというものである。これは,森川(2015)の指摘にも当てはまるだろう。

3つ目が「充実した現実生活(充実生活)」である。やりたいこと,やらなければならないことや友人との交遊などで充実した日々を送っているものである。

4つ目が「恋愛の意義の分からなさ(意義不明)」である。これは,恋愛をする意味や価値を見いだせない心性である。

5つ目が「過去の恋愛の引きずり(ひきずり)」であり,これは以前の恋愛を忘れられず,次の恋愛に向かう気持ちになれない心性である。

6つ目が「楽観的恋愛予期(楽観予期)」であり,恋人は自然な流れで,そのうちできると思っている心性である。

そして,これらの理由項目から5つのクラスターを得ている。第1クラスターが「負担回避」「意義不明」が最高で,「自信なし」「充実生活」なども高い「恋愛拒否群」,第2クラスターが「自信なし」が最高の,「自信なし群」,第3クラスターが「充実生活」「楽観予期」得点が高めな「楽観予期群」,第4クラスターが「ひきずり」得点が最高の「ひきずり群」,そして第5クラスターが,特別な理由の見いだせない「理由なし群」であった。

尚,髙坂(2018)では,これらの項目を2次元4類型にまとめ直して「積極的回避型」「楽観予期型」「ひきずり型」「自信なし型」と命名している。詳しくは,髙坂(2018)を参照してほしい(髙坂康雅. (2018). 青年期・成人期前期における恋人を欲しいと思わない者のコミュニケーションに対する自信と同性友人関係. 青年心理学研究, 29(2), 107-121.

おわりに

ここまでの議論を振り返れば,自分がおおよそ何群なのかということも分かるような気がする。まぁそんなことはどうだっていい。私がこのブログを書いた目的は非常にシンプルである。「恋人を欲しくない」人がいたら,そのことにもっと自信を持ってほしいということである。森川(2015)が指摘していたような自己正当化という目的だけではない。そんなことを,この髙坂(2013)や髙坂(2018)は示唆している。恋愛をすることだって素晴らしいことだが,恋愛をしないことだって認められていいはずだ。「大人」には分からないのかもしれないが,恋人がほしいと思わない私たちにだってちゃんとした理由がある。それを真っ向から否定しないでほしい。ネガティブに捉えすぎないでほしい。「恋人を欲しいと思わない青年」の一人として強く訴えたい。「自己正当化」というような分かった口を叩くな。自分と違うからって安易にネガティブに捉えたり「おかしい」とか言うな。「少子化」「晩婚化」対策をしたいなら,私たちに不毛なレッテル貼りをする前に,結婚しやすく子どもが生みやすい環境くらい整えろ。恋人がほしくない人を責めるくらいなら,恋人がほしくてもできない人の支援を考えろ。

以上。

友だち幻想(読書メモ)①

読んだ本

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

 

第1章

本書のテーマ

現代社会において基本的に人間は経済的条件と身体的条件がそろえば,一人で生きていくことも不可能ではない。しかし,大丈夫,一人で生きていると思い込んでいても,人はどこかで必ず他の人々とのつながりを求めがちになるだろう

・ムラ的な伝統的作法では,家庭や学校や職場において,さまざまに多様で異質な生活形態や価値観をもった人びとが隣り合って暮らしている「いまの時代」にフィットしない面が,いろいろ出てきてしまっている

・共同体的な凝集された親しさという関係から離れて,もう少し人と人との距離感を丁寧に見つめ直したり,気の合わない人とでも一緒にいる作法というものをきちんと考えたほうがよい

第2章

二種類の「つながり」

①目的が「つながりの外」にある場合(人とつながる,つまり人間関係を作ることによって,自分にとっての利得や利益といったものを得ようとする場合)
②人とつながることそのものが目的であるような場合→「交流」

 

幸福のモメント

①自己充実(自己実現):自分が能力を最大限発揮する場を得て,やりたいことができる
②他者との交流:(i)「交流」そのものの歓び,(ii) 他者からの「承認」(相互承認)

 

「他者」について

・「他者」とは自分以外のすべての人間
・二種類の他者:(i)「見知らぬ他者」(≒他人),(ii)「身近な他者」
・どんなに気の合う,信頼できる,心を許せる人間でも,やはり自分とは違う価値観や感じ方を持っている(「異質性」を持った他者である)

 

他者の二重性

①「脅威の源泉」としての他者
②「生のあじわい」(エロスの源泉)としての他者
→人は,他者のもつこの二重性に,常に振り回されるもの

第3章

スケープゴート

・人々の憎悪や不安,猜疑心などを,一つの対象(個人や集団)に転嫁して,矛先をそちらにそらせてしまうこと
・第三者を排除することによって,その場の「あなたと私の親しさを確認しあう」
→今度はいつ自分が排除されるか分からない(不安の増幅)+情報共有に対する「不安」(緊張した状態で一緒にいる)
→ますます固まる

 

同調圧力

本当は幸せになるための「友だち」「親しさ」のはずなのに,その存在が逆に自分を息苦しくしたり,相手も息苦しくなっていたりするような,妙な関係が生まれてしまうことがある

 

ネオ共同性(現代における「新たな共同性」への圧力)

・ムラ的(伝統的)共同性の根拠は「生命維持」の相互性
・ネオ共同性の根拠は「不安」の相互性

 

社会的性格(リースマン)

・伝統指向型(自分の主体的な判断や良心ではなく,外面的権威や恥の意識にしたがって行動の基準を決める)→ムラ的共同性
・内部指向型(自分の内面に「心の羅針盤」を持ってその基準に照らして自分の行動をコントロールする)
・他人指向型(自分の行動の基準を他人=他者との同調性に求める)→ネオ共同性

 

二重の共同性

・生活の基盤をつくる人びとの〈つながり〉が,直接的に目に見える人たちへの「直接的依存関係」から,貨幣と物を媒介にして目に見えない多くの人たちへの「間接的依存関係」へと変質した(「同質的共同性」から「抽象的共同性」への転換?)
・人びとは一方で個性や自由を獲得し,人それぞれの能力や欲望の可能性を追求することが許されているはずなのに,もう片方でみんな同じなければならないという同調圧力の下に置かれている

 

あえて「離れる」

・自分がルサンチマンの感情(「恨み,反感,嫉妬」といった,いわば人間誰もが抱きうる「負の感情」)に囚われがちなときは「自分は自分,人は人だ」という,ちょっと突き放したようなものの見方をしたほうがいい
・お互いにうまくいく関係というのは,その距離の感覚がお互いどうし一致していて,ちょうどいい関係になっている→適切な距離は人によって違う

 

対立を乗り越える心の実践(読書メモ)③

読んだ本

対立を乗り越える心の実践: 障害者差別にどのように向き合うか?

対立を乗り越える心の実践: 障害者差別にどのように向き合うか?

 

前回までのブログ

 

第5章

特別討論〈相模原事件〉の後のこの国でーー有事モード下の差別と偏見

はじめてこの本を読んだのが,昨年の春だったが,一年という時が経って多くのことを学んだ今,この章の見え方がかなり変わった。これからも繰り返し読まなければいけないと感じる。今,私にできる限りの切り口で本章を読み解きたい。

語らないもの

・事件そのものにも「まさかこんなことが」と思ったわけですが,その後の議論が,措置入院などこの国の精神医療のあり方に終始していることにとても違和感がある。なんでそれだけなのか,そうではない,「優生思想」の問題をはじめ,さまざまな差別をめぐる問題があるのだと,言葉を発したいのだけれど,一つの切り口で語ろうとすればするほど,何かがこぼれていく。それほどにこの事件は多くの問題を根本的に突きつけたと思います。[岡原]

・この事件が起きるずいぶん前から,日本だけではなく,社会の中に「優生思想」と値を共有する思考が広まってきている。日本について言えば,とりわけ東日本大震災以降,そうした思考を表に出すことを抑制してきた歯止めが外れてしまったのではないか,というような感覚を持ってきました。[星加]

・今の社会の中では,加害者が抱いていたとされるロジックが成立し得る,ということを了解してしまう自分がいる。そんな感覚があるのです。[星加]

 

「他者」であるーー排除の感覚

・この事件が社会の周縁部,自分とは関わりのないところで起こったという感覚を,たぶん多くの人が持っている。→「重度重複障害の他者化」[星加]

・この事件の加害者のように,何か特異なことを起こす人たちは自分たちとは違う,精神的な障害者なのだとしてそれを矯正しようとする感覚が,広く社会にあるのは事実だと思います。(中略)批判する側の論理にも,同じような事件を起こし得る共通の何かがあるように感じます。[栗田]

・「危険な思想を持っている奴だ」「危ない奴だ」ということで,周りともうまくやれない植松聖がいて,それを誰もが避けてしまった。そのあげくにあの事件があったとすれば,その排除の構造を問題にしないかぎり,同じようなことはまた起こるのではないかと思うのです。[栗田]

・障害者差別の研究をしている自分が,しかし,障害者という括りを別にすれば,そうした排除の構造の中で生きている自分に向き合いきれていない。[栗田]

 

語らないもの

・これまで自分が積み重ねてきたことと,起こってしまった事態と,それについて無理にでも発言する自分が,全身でつながっていないということがあからさまに感じられてしまった。[岡原]

・今回被害に遭われた重度知的障害の人々が,いかに遠い存在であるか。(中略)実際これだけ圧倒的に,自分たちとは違う存在として認識されている事実をあからさまに示されてしまうと,やはりショックを感じてしまった。[星加]

 

自分の問題として「闘う」

・あの事件を語るということは,どこかで,植松容疑者に重なる自分,加害者と地続きの自分を考えないといけない。私自身が,どこか外側でこの事件を見ているのにも,そうした勇気のなさがあるのかもしれない[栗田]

・今の社会は,健常者同士の間でも,「空気が読めない奴」なんて言葉で,コミュニケーションがとれないということに過剰なまでの排除が行われている。僕ら自身がそうした社会の中で生きている以上,植物状態の人々も含めて「コミュニケーションしにくい人々」とどう関わるのか,もう一度強く考え直す必要があるでしょう[岡原]

・慈悲的なというか,温かい言葉で覆い隠しながら,実際にはどんどん他者を排除していく社会があって,その中に,一生を病院や施設で過ごす人がいることを私たちは知らないで,議論の場さえありません。[栗田]

・差別とか偏見というのが,特別なことではなくて,日常的に人が摩擦を起こしたりすることの延長にあると考えられれば,身近な問題として議論することができると思うのですが,社会があまりにも縦割りになりすぎて,議論できる場自体が狭められ,そんな中で何か規範的でないことを言えば強烈に批判されるという息苦しさはなんとかしなければと思うのです。[栗田]

 

「本音」を評価する社会

・これまでの人種教育がある種の建前というか,ポリティカルコレクトネスを,我々が生きていく上での技法として定着させつつも,一方で,個々人の中にある感情を抑圧してきたという構造はある。[星加]

・向き合う,つまり本音をあらわにすることで,本音の部分に承認を与えてしまいはしないか,それが差別や偏見を再生産してしまうのではないか[星加]

・今の社会は,少しくらい偽悪的になっても本音を言うことへの評価が,明らかに高くなっている。それがどうしようもないような発言であっても,本音の感情で言っているなら許されてしまうという雰囲気が,明らかに強くなっています。[岡原]

 

有事と「優生思想」

社会的な危機に直面する中で,極限的な状況における生の選別や優先順位づけというものを,半ば当然のものとして受け入れるようになってきたのではないか。典型的なのは,いわゆるトリアージというものですね。(中略)しかし,原発事故のように危機が何十年にわたるとされる中で,その危機の感覚自体が極限的な短い時間に止まらない,日常のものになってきた。そうなる中で,極限における生命の選別という思想も日常化してきたのではないか→「思考全体が『有事モード』になっている」[星加]

 

アカデミズムが抱える課題

人間の価値とは何かといった根本的な問題に対して,学者たちが正面から議論するのを良しとしない,自分の専門は大事にするけど,それ以外のことには無関心,あるいは口を挟もうとしない。(中略)それまでの既存の価値観や権威を相対化し,先の時代の理論や方法を批判し,その結果,学者だけではなくて,医師や弁護士といった専門家全体の権威は低減した。(中略)そうした中で,専門家,知識人という人たちが,大きな問いを立ててものを考える,発言するという気概を持ちにくくした。時に気概を持って発言する人がいると,「上から目線」だと切って捨てられるような時代です。それを恐れてはいけないんだけれども,実際,職業としての学界の中でもアカデミックな公共性を論じることがなくなっている。[岡原]

 

「他者を肌身で感じる」

・何事につけ,肌身の感覚で捉えてみようとする努力がいるのだと思います。それは先ほど言った「本音」とは違う。「本音」とはいうけれども,それが何を根拠に発せられているのか,自分の本音と思っていることも,しょせんは,インターネット上の言説の受け売りかもしれない。そのように捉えて,みずからの信念そのものも疑って,みずからの体験を広げ,他者への関心を広げ,しかもそれを個人的なレベルにとどめない公共的な視野で位置づけ直して考えていく努力が,今の知識人に必要だと思います。[岡原]

・同時にそれは,専門か任せにしないということにも通じますが,知識人だけの事柄ではない。(中略)哲学や人文学の問いでもあるけれども,過程とか教室とか職場とか,あらゆる生活の場で,日々問われている問題だということです。[岡原]

 

対立を乗り越える心の実践(読書メモ)②

読んだ本

対立を乗り越える心の実践: 障害者差別にどのように向き合うか?

対立を乗り越える心の実践: 障害者差別にどのように向き合うか?

 

前回のブログ

 

第3章

生の問題として〈対立を乗り越える〉を考える(岡原正幸)

現代社会について

今の社会が何を求めるか,今の社会がどのような方向にあるのかによって,そもそも何が障害になるかも変わるという話ですが,たとえば今,この国の首相が「一億総活躍」などと言っていますが,そこでは活躍しない人たち,活躍しにくい人たち,活躍できない人たち,活躍したくない人たちは全部一億からは排除されるわけです。そうした言説が堂々と言われてしまうような社会です。

 

「対立」とは何か

・社会において何かが対立だと名指されたとき,そこで何が起きているのか,少し距離をとって冷静に考える必要がある。どういうことかと言えば,その対立,あるいはそれを「対立」だと名指すことによって,得をしている人が必ずいるからです。
・自分自身も含めて,私たちはそうした利害や権力の関係から全く独立しては生きられないことを忘れてはならない

 

差別・偏見をめぐる「公私」の問題

対立を乗り越えるという点で社会にとって何が必要かと言えば,公の場面で差別的に振る舞い,障害者や少数者を抑圧するといったことが起きないことです。(中略)しかし,公の世界と私的な世界という区分けは,(中略)現実には,とても微妙な問題です。

 

「ラベリング」の課題に気づく

・私たちは常にカテゴリーで自分も相手も名指そうとします。しかしカテゴリーで名指したときに,取りこぼすものは何なのか,考えていかないといけません
・個別性を切り捨てて単一のラベルを貼って物事を見てしまうと,世界は,起伏のない,とても単調なものになってしまうでしょう

 

問題は「生きにくさ」

・効率こそ大事だと考えるこうした社会の変化に左右されて事が進んでいることを自覚する必要があります。特に,私は感情管理社会と呼んでいるのですが,サービス化された今の社会の中で,私たちはさまざまに自分を律することが求められ,とりわけ感情のコントロールが要求されている。そのレベルは大変に強く,それが生きにくさとして現れていると思います
・逸脱者を自分でつくっておいて,では包摂しようという,それこそ大変な手間です。そもそも逸脱者を出さなければいいわけです。
・この国は明らかに個別に対応できるようなことも,全て社会的に集団として何とかしようと考える。その意味では,社会主義的というか,管理化が非常に進んだ国です。

第4章

討論

ラベリングをめぐって

・ラベリングする,カテゴリー化することによって,その人たちにどういった支援が必要であるかとの視点を設けることができる(中略)一方で,違う人間であると判断されて排除されていくということも同時に生じる。→差異のジレンマ
・障害者というカテゴリーを使わないようにするというよりは,それを適切な形で使うようにしていく。そのためには,それぞれの場面で相手がどういう文脈で存在しているのかを意識することが大事でしょう。
発達障害と診断されることでホッとした,ポジティブに感じられたという経験
→「怠け者の健常者」というラベルから「頑張っている障害者」へ。
→集合的なアイデンティティの獲得
→「しつけ,教育の失敗,親の人格の問題」といった解釈からの変更

 

差別や偏見の解決

・差別や偏見の問題を,誰かを救うというのではなく,自分の問題として考える
・自分自身の価値を捉え直していくことが,最終的に偏見や差別の対象の人たちにどう接するかという問題をつながっていく→自分が生きやすくするためにはどうすればいいのか考えていく
・社会のありようが変われば,突然,自分自身に差別や偏見の矛先が向かってくる

 

差別や偏見の体験を語る

・まずは差別があるということを自覚して,その差別をしてしまう自分に自己嫌悪や罪悪感を感じることが,是正に向けての動機になっていく
・特定の偏見とか差別というのは,(中略)特定の時代状況とか社会的文脈との関係で生じていることであるはずなのです

 

「助ける」を考える

・(手助けというものがなくなることよりも)他者が必要としている手助けを当たり前に行えるような関係性がメインストリームの社会の中で実現するのが,本当は望ましい
・弱者だから助けるのではなく,手助けを必要としているのだから助ける

 

「対話」を考える

・言葉のやり取りによって,ではどういう配慮なら最低限可能か,その落としどころをお互いに見つけていくプロセスの結果として,配慮の内容が特定されていく
・日本は近年コミュニケーション能力が大事だとさんざん言われているのですけれども,聞く側の能力についてはほとんど議論されていないことが問題だなと思っていて,合理的配慮が義務づけられたということを機に,対話において,相手の言うこと,相手のニーズというものをどう聞き取るか,受け止めるかということを,社会の共通の振る舞いとして普及させていくことができないかと考えています

対立を乗り越える心の実践(読書メモ)①

読んだ本

対立を乗り越える心の実践: 障害者差別にどのように向き合うか?

対立を乗り越える心の実践: 障害者差別にどのように向き合うか?

 

各引用部位の見出しはブログ筆者による。

第1章

見えない偏見ー障害者を取り巻く問題に現れる心の働き(栗田季佳)

「障害」というラベリングの問題

・一般に先生方は,「障害の有無ではない,また障害名も関係ない,その子を見ることが大事だ」とよく言われます。もちろんそうした姿勢は私も大事にしたいと思っていますが,実は障害というラベルがあるだけで,無意識のうちに子どもの捉え方は変わってしまうことを知っておく必要があるのです

 

自己肯定的な心性

・障害のある人もない人も,他者に比べて自分をより肯定的に捉える,言い換えれば自分をよりよく見せる眼鏡をかけていると考えられる
・逆に,自分を客観的に捉え,他者からどう見られているのか冷静に判断できる人は,鬱傾向が高い

 

差別や偏見につながる「心」

・死を意識しているときほど障害のある人に対して警戒的になる,障害者を避ける
・平均からの逸脱者に対して,あの人変な人だよねと言ったり,それが学校や会社といった組織の中ですと,指導を加える対象として認識したりもします(中略)障害のある人のような少数の人たちを異質であると捉えるまなざしにもつながります

 

顕在化する差別・偏見

・環境が許せば,押さえていたそうした感情[偏見や差別心]が,堰を切ったようにあふれ出ることがあります。
・(一方で)差別も偏見も固定的なものではなく,私たちはそれに対応する柔軟性も持っていると思って良いのです。

 

差別や偏見を乗り越えるには

・障害のある人と身近な関係性を作る(接触体験)こと
→「身近な人に対して優しくありたい」という心性の利用
→「障害のある」Aさんというラベルの解放

・障害者がいるのが当たり前の社会を作る
→「平均」評価を変える

・障害についての「正確な知識や理解」も大切だが,自分という生き物がどういう心の特徴を持っているのかという人間性の理解も必要

第2章

バリアフリーという挑戦ー「社会を変える」ことは可能か(星加良司)

「四つのタイプのバリア」

一つは物理的障壁で,たとえば道路や廊下に段差があって自由に動けない等のことです。二つ目は制度的な障壁で,障害があることによってたとえば運転免許や医師免許といったものの取得に制約がかけられている,といったことです。それから文化情報面での障壁があって,たとえば本書は日本語の文字で書かれていますが,仮に本書の内容に関心のある方に日本語を第一言語としない方や視覚障害の方がおられるとすると,日本語の文字中心の出版文化というものは,情報の入手,情報の理解に多大な困難を伴う環境となっていると言えるわけです。そして意識上の障壁。これは道徳教育や人権教育などの分野でよく使われる言葉ですが,まさしく,偏見とか差別とか無知等々のことです

 

価値づけとバリアフリー

・「価値のある社会的活動への参加にあたって,妨げとなる外的・社会的要因を除去しようとする営みと思想,またはそうした要因が除去された状態」
・社会的な価値づけのプロセスあるいはメカニズム,あるいはそうした価値づけを改変する可能性,時には別の形の価値づけを模索して行く営みを含めて,バリアフリーというものを捉えていく

 

障害学の観点

・実は障害学とは,そのdisabilityについての理解の仕方を大幅に転換することを一つの出発点としています。すなわち,従来のdisability感が,そうした能力を持たない個人の問題,あるいは個人の身体的な特徴に由来する形で無能力という現象が起こっていると考えられてきたのに対して,実は無能力という状態は社会的な構築物ーー社会によってつくられたものーーであると考える認識の転換を図ったのです→【障害の社会モデル】

 

障害学の二つの流れ

・一つは,障害者から社会的,経済的,法的,心理的,さまざまなレベルの力を奪うようなイデオロギーや制度が存在していることを問題視し,それを分析,記述することを通じて,無力化する力(ディスエイブリズム)をなくしていくための方途を探るというアプローチ
・「正常性」とか「健常性」といった規範を絶対視して,それに近づくための実践を人びとに強制するような力(エイブリズム)への批判

 

問題の本質

・障害者に対してマイナスの効果が生まれるのは副次的な作用であって,社会が,今の形で成り立っていくために,ディスエイブリズムやエイブリズムと表現される力が必要となっているという側面があるのでは
・マジョリティにとって有利な社会が生み出されやすいという傾向が一般的にある(→「最大多数の最大幸福」など)
・個人が社会に対してより多くの貢献をするような動機づけを与えることが,社会にとって合理的→システムにとって都合のよい機能を十分に果たせない身体を持っている人は,どうしても社会の周縁部に置かれる,あるいは不利な社会的位置を余儀なくされる
存在論的な安定のために,他者としての障害者という存在を生み出し続けている
・今日取り組むべきバリアフリーをめぐる課題においては,さまざまな障碍者の権利保障のための法整備,あるいはそうした施策の前提となっている,disabilityが社会的構築物であり,だからそれは社会的に解決すべき課題なのだという考え方を広く浸透させることはもちろん重要ですが,(中略)その背後で進行している,マイノリティを周縁化し無力化していく力を強めるような社会的な傾向をブロックすることができるのかというテーマに取り組まなければいけないだろうと思うのです

 

「当事者性」をもって考える

・自分が生きている社会のありようの中で,どのようなバリアが生まれているのか。あるいは,自分自身がバリアに直面した経験がないのだとすれば,なぜないのか,自分はどういう位置にいることによってバリアを経験せずにすんでいるのかということについて考える作業

・知的探求とは,そもそも非常に複雑な事柄をさまざまな角度で見ることを必要とします。あるいはさまざまな知見を組み合わせて,問題の解を見つけていかなければならない。(以下略)

 

「理科を学ぶ目的」とは(雑文)

理科教育関連の集中講義で、毎回と言っていいほど扱われるテーマがある。

「理科を学ぶ目的はなんですかと子どもから聞かれたらどう答えますか?」

という問いである。繰り返し言われるということは、これが理科教育において、はっきりとした答えの出ていない“永遠の課題”であり、なおかつ教師ならば知らないと困るものなのかもしれない。

だが、そうした意識調査の結果が講義の中で取り扱われたことはない。さらっとGoogle Scholar で検索してもほとんど見つからなかった。なんで気になるのに調査しないのか。すごく疑問である。教員相手と生徒相手に小中高大など様々な学年段階に対して意識調査をしたら、面白いと思うんだが。まぁ、資料論文くらいにしかならないか...それでも、理科教育に関わる講義ならどの先生も扱うようなトピックならば、調べていないことの方が不自然である。まぁ,きっと何か事情があるのだろう。

それはさておき、理科を学ぶ目的とは何かということで、しばしば教科教育全般的な目的として指摘されるのが「実質陶冶」と「形式陶冶」のお話である。

実質陶冶(じっしつとうや)
知識・技能などを、実際の生活や生産に即して授け、精神の実質的側面を豊かにはぐくもうとする教育。(デジタル大辞泉

実質陶冶(ジッシツトウヤ)とは - コトバンク

 

形式陶冶(けいしきとうや)
知識・技能を習得する能力そのものをはぐくもうとする教育。観察・注意・記憶・想像・分析などの各能力を高めることに重点を置く。 (デジタル大辞泉

形式陶冶(けいしきとうや)とは - コトバンク 

簡単に言えば「実質陶冶」は,教科関連の「知識・技能」的な側面にあたり,「形式陶冶」は,教科を横断する「能力・態度」的な側面にあたるといえるだろう。ところで,最新の学習指導要領(平成29年改訂版)では,理科で育成する資質・能力として,[1]知識・技能,[2]思考力・判断力・表現力等,[3]学びに向かう力・人間性等が挙げられているが,まさに「実質陶冶」的な側面と「形式陶冶」的な側面が出ている。「実質陶冶」と「形式陶冶」は車の両輪のようなもので,どちらかが欠けても車は走らない。両方をバランスよく行っていく必要があるのだろう。

さて,理科という科目を学ぶことのメリットは何だろうか。実は,こうしたメリットについて整理するにあたって,先ほどの学習指導要領で紹介されていた「理科で育成する資質・能力」は非常に大きな示唆を与える。もっとはっきりと言えば,理科を学ぶ目的はずばり「(理科で育成する」資質・能力を身につけるため」なのである。

ざっくり思いついたものを書いておきたい。分類は勝手にしたので,おかしいところなどもあるかもしれないがご容赦頂きたい。

【1】知識・技能

・自分の身を守るための正しい知識を身につける
・問題を発見する技能の習得
疑似科学にだまされない知識
・季節感の獲得

【2】思考力・判断力・表現力等

・科学的に「考える力」の習得(客観的・実証的・論理的・体系的)
・ものごとの普遍性を発見する能力

【3】学びに向かう力・人間性

・日常生活に対して「疑問」を持つ態度(批判的思考態度)
・新しい概念を導入する態度
・知的探求心の習得

【4】その他

・科学者の養成,理科教員の養成
・受験で使うから

むしろ,理科は割と好きだった自分にとってこれほど難しいトピックはない。逆に,理科が嫌いな人の意見を聞いた方が参考になりそうな気すらしてくる。

まぁ,どうせこれからも考え続けるトピックなのだろうから,今後もこのブログは書き換え続けたいと思う。

対立情報との接触が態度に及ぼす効果

目次

読んだ論文

小林敬一. (2016). 対立する情報との接触が態度に及ぼす効果. 心理学評論, 59(2), 143-161.

「対立」の種類

①「主張」の対立

・各情報の中で特定の問題に対して相反する立場が表明されている

・特定の問題に対して相反する事実的言明が提示されている

②「フレーム」の対立

フレーミングとは

・それによって人びとがある問題を特定の仕方で概念化したり,その問題に関する自身の思考を転換したりする過程

争点フレーミングの対立の例

・「健康診断の新基準は医療費削減につながる」 vs 「健康診断の新基準は病気の潜在的リスクを過小評価している」

③「論証」の対立

(同じ争点・異なる争点かを問わずに)ある争点に関する主張とその根拠(主張を支持する理由や裏づける証拠)が含まれる,論証の形式における対立

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異種混交性研究が示す接触効果

・社会的ネットワークの異種混交性が高い実験参加者ほど,態度変容の程度(提示した論証文の説得効果)も大きい。

・Visser and Mirabile(2004)によると,自分にとって重要な他者の中に,自分と同じ意見の者だけでなく異なる意見を持っている者もいるという認識が問題に対するアンビバレント感情を引き起こしたり態度の確信度を低下させたりすることで,態度が変容しやすくなるという。

・特定の問題を巡って(少なくとも)主張が対立する情報との接触は,情報源が自分の社会的ネットワークを構成する他者であれば,その問題に対する態度を軟化させ,その変容を促進する。

競合的フレーミング研究が示す接触効果

・競合的フレーミング研究の知見をまとめると,取り上げる問題の側面が異なっていても,フレームが対立する情報との接触は,態度の形成・変容に一定の影響を及ぼすといえる。ただし,その影響の方向や強さは主として,競合的フレーミング情報との接触が同時か継次か,対立するフレームの強弱,(継次接触の場合)先に形成される態度の頑健性によって変わる。すなわち,競合的フレーミング情報との接触が同時の場合,対立するフレームの強さが同等であれば,各争点フレーミング情報の効果は相殺されるが,フレームの強さに差があれば,強いフレームに沿った態度が形成される。継次接触の場合,最初に接触した争点フレーミング情報で形成される態度の頑健性が高いと初頭効果が,頑健性が低い(あるいは低下する)と新近効果が現れる。

態度の極化研究が示す接触効果

・受け手が特定の問題に対し肯定的あるいは否定的な態度を有していて,かつ(バイアスがかかった同化研究の知見から)その態度がアクセス可能な場合,論証が対立する情報との接触で少なくとも認知された態度の極化が生じる。

態度の極化

対立情報との接触で既存の態度がより強まる方向に変化する現象

バイアスがかかった同化

対立情報の受け手が自分の事前態度と一致する情報をより肯定的に評価し,一致しない情報をより否定的に評価する傾向

まとめ

・対立情報との接触が態度に及ぼし得る効果は次の 6 つに集約できる。

(a)既存の態度を和らげ態度変容を起こしやすくする(態度の軟化)
(b)各情報の相反する作用を中和し穏健な態度の形成を促す(相殺効果)
(c)強い情報に沿った態度の形成を促す(片面効果)
(d)先に接触する情報に沿った態度の形成を促す(初頭効果)
(e)後に接触する情報に沿って態度を変容する(新近効果)
(f)受け手の認知レベルで既存の態度を強める(認知された態度の極化)

・少なくとも主張が対立する情報との接触は,それが社会的ネットワークに由来する場合,主張の対立(すなわち,社会ネットワーク内にある意見の相違)を焦点化し,態度の軟化をもたらす。
・主張が対立する情報でも,(各主張に根拠を伴う)論証が対立する情報との接触は,社会的ネットワークに由来せず,かつ長期記憶内の既存態度がアクセス可能な状態にあれば,論証の対立(すなわち,既存態度を肯定する論証 対否定する論証)が焦点化される。
・そして,各論証に焦点を合わせた情報の処理(バイアスがかかった同化)を介して認知された態度の極化が生じる。

・一方,公的問題に肯定的あるいは否定的な既存態度がなかったり既存態度のアクセス可能性が低かったりする場合,論証形式の情報かどうかにかかわらず,フレームが対立する情報との接触は,フレームの対立か一部のフレームを焦点化した情報処理を導く。すなわち,競合的フレーミング情報それぞれとの接触に時間的ギャップがなく,かつ対立するフレームの強さに差がない時には,フレームの対立が焦点化され,両フレームの拮抗し相反する作用により相殺効果が生じる。
・同時に接触しても,対立するフレームに強弱の差がある場合,強い方のフレームが焦点化されて後続の情報処理を左右し,片面効果が現れる。競合的フレーミング情報との接触が継次的な時には,最初に接触する争点フレーミング情報が頑健な態度の形成を促しそれが持続すれば,その情報を特徴づけるフレーム(先行フレーム)に沿った初頭効果が生じ,頑健な態度が形成されないか,あるいは形成されてもそれが時間の経過とともに減衰すれば,後に接触するフレーム(後続フレーム)を焦点化した処理で新近効果が生じる。

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