A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

社会ダーウィニズムをめぐって

社会ダーウィニズム

ダーウィンの生物進化論を適用して社会現象を説明しようとする立場。特にダーウィンの生存競争による最適者生存の理論を誤解ないし拡大解釈して,社会進化における自然淘汰説を導き出そうとする。19世紀末―20世紀初頭にスペンサー,グンプロビチらが唱えた。このような主張は利潤追求や特定人種の支配・征服を合理化するために用いられ,ナチズムの人種理論,優生学帝国主義の思想的正当化の一翼をになった。

百科事典マイペディア(平凡社)より
社会ダーウィニズム(しゃかいダーウィニズム)とは - コトバンク

米本(2000)はこうした流れを「十九世紀自然科学主義」という言葉で表現している。

ここでいう自然科学主義とは,人間のふるまいやその社会までも含む一切の現象を,非擬人主義的,非超自然的,自然科学的に統一的に解釈しようとする哲学的傾向のことである。具体的には,唯物論,一元論,自然主義実証主義,自由思想,不可知論などの基本に流れる姿勢で,一言でいえば,キリスト教的世界解釈の崩壊の後を埋める一群の経験論的な代案のことである。

出典:米本昌平, 松原洋子, 橳島次郎, & 市野川容孝. (2000). 優生学と人間社会. 講談社 (講談社現代新書), 14-15.

こうした「自然科学主義」の根底には,単純化された因果論的解釈の偏愛があり,世紀交代期(ここでは19世紀から20世紀への移行期)には,唯「生殖質的」人間観が漠然と広がっていったと,米本(2000)は指摘している(p.20-21)。

優生政策をめぐって

アメリカにおいて第二次世界大戦前に広く行われた優生政策は大きく分けて2種類ある。一つが「断種法の制定」であり,もう一つが「絶対移民制限法の制定」による移民制限であった。後者には,(現在も根強いと思われる)人種優劣論が背景にあった。こうした中でビネーの考案した「IQテスト」は科学的な外装を与える結果となってしまったのだという(米本, 2000)。

ナチズムの封印後

ナチスの人種政策は確かに「優生思想」に基づくものであったといえるだろうが,当の優生学者たちは,ナチズムとは距離を置いていたことも分かっている。
米本は「悪名高いナチスが葬られたことで,いくつかの国では,戦後になって本格的な科学的優生学の時代が到来した」と表現している。ここでいう「いくつかの国」の中に,日本も含まれているというのが実情である。むしろ,現代優生学は,ナチスとの断絶を主張し,科学的であることを喧伝することに注意する必要があるのだろう。

尚,アメリ優生学会は1972年に名称を「社会生物学会」へと変更したという。最後に社会生物学をめぐる批判の一端を記しておきたい。

社会生物学論争

社会生物学は,いわゆる「社会生物学論争」と呼ばれる論争で批判の対象とされた。

社会生物学」という大著を著したウィルソンが,社会ダーウィニズム優生学の再来ではないかと批判を受けたのである。それについて,横山(1997)は次のようにまとめている。

社会生物学 - Wikipedia

ウィルソンは、ラムズデンと 1983 年に出版した書物の中で当時を回顧し、そのことを認めつつも、逆の行きすぎがあってはならないとしている。つまり、科学上の議論をその政治的帰結によって判定する誤りをおかしてはならないというものである。社会生物学に対する批判は「ナチス科学」や「ルイセンコ生物学」のように、政治が科学に介入するものではないのか、つまり政治的な通念と一致しないものを科学上の根拠によってではなく政治イデオロギーによって退けることになっているのではないかというものである。社会生物学論争を比較的中立的な立場から扱ったブロイヤーは、ウィルソン自身は人種差別的な考えはあまりないとしており、ウィルソンをファシストと呼んだりするのは行きすぎであろう。社会生物学が悪用される可能性があるとしても、そうした可能性があることから、ただちに研究それ自体が批判されるべきかどうかというやっかいな問題がここにはある。それは「学問の自由」や「研究の自由」に対する侵害になりかねないからである。

出典:横山輝雄 (1997). 生物学の歴史-進化論の形成と展開. 放送大学教育振興会.

参考リンク:社会生物学論争社会生物学 - Wikipedia