少年犯罪とその報道に対する視点
今回読んだ本
12章「少年犯罪についての認識とメディア」より
認識と実態のギャップ
・統計的には「改善」の傾向がみられ,身のまわりでも凶悪な犯罪に出会っていないにもかかわらず,少年犯罪は増加し,また質的に悪化したという認識が多くの人々に分け持たれている【p.215】
報道は何を伝えてきたか
マスメディアによる影響
・マスメディアによる「洗脳」という理論は半世紀以上も前に否定
・マスメディアが人々にもたらす効果として「議題設定」があるとする理論,つまりメディアにはその受け手をがらりと塗り替えるほどの強い直接的効果はないが,あることがらについて「何を考えるべきであるか」,またどう考えるべきかという認識のレベルにおいて影響を与えるとする理論
・取捨選択の視点(大庭, 1988)
①一般性(社会一般,多数の人々への影響)
②刺激性(常軌を逸する度合い)
③流行事象との適合性(世相を反映すると判断された度合い)
④連続性(すでに報じられた事件との同時多発性)など
【p.216-217】
報道の時代的変遷
・事件報道は,少なくない場合,ただできごとを淡々と伝えるだけでなく,そのできごとについてとくに何が考えられるべきか,問題の核心はどこかを選択的に指し示すことで,同じようなできごとの再発防止に向けた「解決の物語」を同時に示してもいる。
・戦後から1960年代までの少年による殺人事件は,ほぼ加害少年のおかれた「社会環境」の問題が事件の背景にあると語られていた。【p.218】
・1970年ごろから,代わりに姿をあらわすのは,「家庭」や「学校」での問題が少年事件の背景にあるとする報道だった。【p.219】
・神戸・連続児童殺傷事件(1997年)以降,「心の闇」という表現を通して,加害少年の異常な内面が諸事件の原因として語られるようになった。【p.221】
動機探しをめぐって
原因を探る限界性
・鈴木(2013)の指摘する「起動原因」と「構築原因」
起動原因:行為のきっかけや背景となる原因
構築原因:なぜほかでもないその行為がなされたのかを説明する原因・起動原因はいくつも並べることができるものの,構築原因を考えようとすると背景論が破綻する【p.226】
・そもそも事件の残虐性にかかわらず,なぜ人を殺さねばならなかったのかという構築原因の詮索自体に無理があるのではないだろうか。同報道を重ねても,殺人の理由が理解できたというところにたどり着くことは,倫理上できないはずだ。【p.229】
海外の報道のあり方
・日本で事件が掘り下げられる場合は,事件の動機が中心であり,近年では少年の心理にとくに焦点が当てられている
・アメリカやイギリスでは,具体的な事件を手がかりにしながら,より広い社会的状況について考察を展開する
・イギリスでは,事件の「発生・逮捕」や「捜査」よりも「裁判・収監」に関する報道が中心的である
・日本の報道では事件の「発生・逮捕」ばかりが伝えられ,いまだ刑罰が確定していない容疑者に対して,過剰な「社会的制裁」がおこなわれているようにみえる(その情報の消費者として私たちもそこに加担している)。また,私たちの社会はあまりにも「半径5メートル」にとどまって動機の詮索をおこなっているが,そのような情報を求める欲望はどの社会においても「当たり前」ではないこと,それらなしでも社会は成立しうることも,海外の報道から気づくことができる。【p.231-232】
おわりに
・私たちの社会の犯罪不安を過度に高めない道筋があるとすれば,事件の発生や逮捕,あるいは微細な動機の詮索を焦点とする報道は「当たり前」ではなく,情報を求める欲望もまた「当たり前」ではないとして,私たち自身がメディアから提供される情報を冷静に見直すことから歩まれるものではないだろうか【p.232-233】