A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

考える障害者(読書メモ)

読んだ本

考える障害者 (新潮新書)

考える障害者 (新潮新書)

 

本書は,芸人であるホーキング青山氏が「タブー」「タテマエ」「社会進出」「美談」「乙武氏」「やまゆり園事件」「本音」という7つの章に分けて,自らの“障害観”について語られていく。障害者にもさまざまな人がいて,本書で述べられていることも,必ずしも「障害者(みんな)の意思」ではないとは思われるが,非常に共感させられる指摘もいくつかあった。

障害への理解をめぐって

障害者が健常者に理解されないのはなぜか【p.17~】という点について

・そもそも健常者との接点が少ない
・善意の人が社会との壁になっている
・「とにかく大変だ」「不憫でかわいそうだ」というイメージが先行し過ぎている

という3点を指摘しており,この指摘は同書を最後まで貫く一本の大きな核となっている。こうした指摘を基に,ボランティアをめぐる問題や,いわゆる「感動ポルノ」など,様々な角度から主張を広げている。

また,障害者が「聖人君子」的なイメージになりすぎていることだけでなく,介護に携わる人間も,そのようなイメージで描かれることが多いことに対しても疑問を呈している。これは重要な指摘であろう。相模原障害者施設殺傷事件(本書では「やまゆり園事件」)について考える上で,重要な視点の一つであると感じた。

「障害者は生きていて良いのか」という問いに対して

ホーキング青山は次のように述べている。

・「この人は生きてていいか? 悪いか?」なんて問いを設定すること自体がおかしい。

・言うまでもなく,この世には障害者じゃなくても世間に迷惑かけているヤツなんていっぱいいる。

・会社にだって,給料泥棒と言われる人は珍しくないはずだ。(中略)だけど誰も「そんなヤツだから死んでいい」とも「殺しちゃえ」ともいわない。

・なのになんで障害者だけ,いきなり生き死にのことを他人に言われなきゃならないんだよ! これが私の意見である。【p.142-144】

結論に代えて

あとがきで述べられているように,本書には結論と思しき結論はない。ただ,随所に結論的な指摘はみられたので,そうした指摘を少し拾い集めてみたい。

・障害者の側に立つ人が,権利だけを主張するのではなく健常者側の論理にも理解を示し,また健常者の側も経済原則だけを押し付けるのではなく,障害者の側の気持ちを酌む,といった形での話し合いができれば望ましい。【p.148】 

・(障害者相手だって)「同じ人間」として見て,普通に接すれば良い。それ以上のことはないはずなのである。【p.153】

・障害者の側は,あまり臆することなく,もっと積極的にいろんなことに挑戦してもいいと思う。その過程では否応なしに健常者とも関わらなければならなくなるだろう。そしてここで良好な関係を作っていくことが何より「障害者の社会進出」を推し進めることになるはずだ。【p.172-173】

・だからこそ,もう対立するんじゃなくって社会の一員になるために,健常者もだが,障害者こそ心を開くべきだと思うのだ。【p.185】

大きく分けると2つの軸がある。1つ目が「障害者の社会進出のためには,障害者が積極的に社会に出ていくことが必要」ということ。2つ目が「障害者が権利を主張し続けるというよりも,お互いが相手のことを考え,社会のことを主体的に考えることの方が重要ではないか」ということ。確かに,これまでの障害者運動の歴史などを振り返った時に,そうした運動の持った意義が大きいことは否めないが,現代社会においてもそれが通じるかと言われると難しいものはある。

かつてよりも「ヘイト」的な言論が自由に発信できる空間となった現代社会において,障害者へのヘイトを集める可能性のあるような“古典的な”手法がどれほど有効なのか,私もやや疑問に思う部分がある。無論,一部の障害者の行動が「障害者」という括りでのヘイトを生むこと自体は明らかな誤謬を含んでおり,簡単に納得できるものとは言えないが,かと言って「ヘイトする方が悪い」なんて言ってしまうと,感情だから仕方ないなんて言われて,不毛な議論になってしまうだろう。そもそも「誰かが悪い」なんて構図で語ろうとすることが間違っているのかもしれない。コスト的な話がしきりに語られる現代だからこそ,障害者も「社会」に対するコストの視点を持たねばならないだろうし,健常者もコストだけでなく「障害者」という視点を持たなければならないのだろう。このような形で「障害者」「健常者」と分けることの正当性も疑わしいものはあるのだが,逆にこうして分けて議論することの方が本質的ともいえる。なかなかに難しいトピックである。

ホーキング青山の主張は,一障害者の意見にすぎないのかもしれないが,どこかで感じていた“違和感”が少しだけ本書を読んだことで晴れたような気がする。