A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

なぜ,人と人は支え合うのか(読書メモ)①

読んだ本

久しぶりにいい本に出会えたなと思わせてくれた。
じっくりと余韻を味わいながら,印象的だった記述をメモ形式で以下に書き残しておきたい(本文を改変している場合も有り)。数回に分けて書いていく予定。

はじめに

・福祉とは「特別な人たち」のためだけのもの?
 →誰にとっても,やがてくるその日のための大切な備えであり,心構えであるはず
 →不安の少ない安定した社会をつくっていくための有益な“社会投資”【p.11-12】

・障害者について考えること⇒健常者について考えること⇒自分自身について考えること
・障害のある人たちが生きやすい社会をつくっていくことは,結局のところ誰のトクになるのか【p.12】

・世間一般で,障害者といえば崇高なイメージで語られがち
・そもそもメディアなどで伝えられる「障害者像」どおりの障害者など,この世には一人もいないといえばいないのかもしれない
・「障害者」といい,「健常者」といい,それらの言葉が意味するところは,じつにあいまいであり,その境界線も紙一重【p.13-15】

・なぜ健常者は障害者に会うと,つい,とまどいや緊張を感じてしまうのか

・「差別はよくない」「障害者は不幸ではない」「障害者も健常者も同じ人間だ」などという理念にしばられて緊張してしまうから?
・あれやこれやを考えると,関わらないに越したことはない,とつい考えがち
・「普通に接する」とは,心がけだけではどうにもならない【p.18-19】

・経験を重ねている人でも,意外な思い込みや偏見に凝り固まっているように見える場合も
・「経験しつつ考える」という行為を通して,思考や態度,関係性のバランスを保っていく【p.19-20】

第1章

・介護はお互い様
「障害者と介護者っていう二つの心があるでしょと。その二つの心が,お互いを思いやり合うのが介護なんだよと。」
「介護とはお互いの気持ちいい所を探り合うこと」【p.35-36】

・介護は,本当に「誰にでも出来る」仕事?
→「もし自分や肉親がその立場になったら」という視点が抜け落ちている【p.36-37】

・「障害者って生きてる価値ってあるの?」 →「では,あなた自身は,自分に生きている価値があると,誰の前でも胸を張っていえるんでしょうか? 価値があるとしたら,どうしてそういえるんですか?」【p.46】

・人に自分の意見は述べる,しかし,相手からの反論は受けつけない。そうした姿勢が植松被告(相模原障害者施設殺傷事件の犯人)の主張を成り立たせている根幹にはある【p.55】

・植松被告の主張は「優生思想」ではない。(彼にとって殺されるべき対象を)殺した後に社会がどう進歩し,どう発展するかについての構想がない。ただの排除思想,差別である。【p.56-58】

・「障害者なんていなくなればいい」といっている人だって,じつは厳しい社会状況に追い詰められ,人間性のどこかを深く病み,社会から落伍しかけているのかも
・自己責任やバッシングの言葉がいつ自分に降りかかるかわからない
・「支え合い」なんて不要だという風潮が強まるほど,ますます不適応者が増える可能性【p.61-62】 

・もし世の中が,能力のある人ばかりで埋め尽くされたとしたら,そもそも能力の意味がなくなってしまい,商品やサービスの価値も低下してしまう
・人は誰しも,「富の再分配」や,福祉的な支え合いによって暮らしている。もし,それをやめれば,そもそも人が,組織とか社会とか国家というものを維持する意味の大半がなくなってしまう【p.66】

・「天才と狂気は紙一重
・人間という種にとって,最もどうでもいい存在なのは,圧倒的多数の平凡な健常者ということになってしまう【p.69】

・世の中にはそれとは真逆に,「もし自分だったら」という言葉を用いて,いとも簡単に物事を判断し,結論を下してしまえる人もいる
・日常というのは,『わからない』の連続。そして,わからないからこそ,ここに『いる』というように,おだやかさや平安を導いてくれる【p.71】