A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

悪と全体主義(読書メモ)②

読んだ本

第3章

・資本主義経済の発展により階級に縛られていた人々が解放されることは,大勢の「どこにも所属しない」人々を生み出すことを意味した
→大衆の「アトム化」
・選挙権は得たものの,彼らは自分にとっての利益がどこにあるのか,どうすれば自分が幸福になることができるのか分からない。そもそも大衆の多くは,政治に対する関心が極めて希薄でした。
・「大衆」は国家や政治家が何かいいものを与えてくれるのを待っているお客様
・何も考えていない大衆の一人一人が,誰かに何とかしてほしいという切迫した感情を抱くようになると危険です。深く考えることをしない大衆が求めるのは,安直な安心材料や,分かりやすいイデオロギーのようなものです。それが全体主義的な運動へとつながっていったとアーレントは考察しています。【p.120-122】 

・不安と極度の緊張に晒された大衆が求めたのは,厳しい現実を忘れさせ,安心してすがることのできる「世界観」【p.124】

・人間は,何が真実なのか分からない,自分だけが真実を知らされていない状態というのは落ち着かないものです。秘密結社に入っても,トップシークレットを知り得るのはヒエラルキーの階段を登り詰めた,ごく一部の人たちだけ。自分も知りたい,教えてもらえるようなポジションに就きたいーーと思わせるようなヒエラルキーを,ナチスは構築した【p.133】

・そのようにして自立した道徳的人格として認め合い,自分たちの属する政治的共同体のために一緒に何かをしようとしている状態を,アーレントは「複数性」と呼びます。アーレントにとって「政治」の本質は,物質的な利害関係の調整,妥協形成ではなく,自律した人格同士が言葉を介して向かい合い,一緒に多元的なパースペクティヴを獲得することなのです。異なった意見を持つ他社と対話することがなく,常に同じ角度から世界を見ることを強いられた人たちは,次第に人間らしさを失っていきます。【p.149-150】

・現代でも,特に安全保障や経済に関連して,多くの人が飛びつくのは単純明快な政策です。(中略)が,世界はそれほど単純ではありません。
全体主義は,単に妄信的な人の集まりではなく,実は,「自分は分かっている」と信じている(思い込んでいる)人の集まりなのです。【p.154-155】 

第4章

アイヒマンが従った“法”は最初から間違っていて,私たちが現に従っている「法」は絶対正しい,と何をもって言えるのか? 哲学的に掘り下げて考えると,私たち自身が拠って立つ,道徳的立場に関しても不安になってきます。【p.176-177】 

・人が他人を心置きなく糾弾できるのは,自分(あるいは自分たち)は「善」であり,彼(もしくは彼ら)は「悪」だという二項対立の構図がはっきりしている場合に限られます。
アイヒマンに悪魔のレッテルを貼り,自分たちの存在や立場を正当化しようとした(あるいは自分たちの善良性を証明しようとした)人々の心理は,実はナチスユダヤ人に「世界征服を企む悪」のレッテルを貼って排除しようとしたのと,基本は同じです【p.181-182】

ユダヤ人社会や大戦後に建国されたイスラエルを覆っていた「ユダヤ人は誰も悪くない」「悪いのはすべてドイツ人だ」というナショナリズム的思潮に目をつぶるという選択肢は,彼女にはありませんでした。そのような極端な同胞愛や排外主義は,ナチス反ユダヤ主義と同じ構造だからです。【p.186】

・絶対悪を想定して複数性を破壊するような事象は私たちの身近にもあふれています。
・むしろ正義感の強い人,何かに強いこだわりをもって,それに忠実であろうとする人ほど実際は悪の固まり,ともいえます。【p.189-190】

アーレントのいう無思想性の「思想」とは,そもそも人間とは何か,何のために生きているのか,というような人間の存在そのものに関わる,いわば哲学的思考です。それは,異なる視点を持つ存在を経験し,物事を複眼的に見ることで初めて可能になるとアーレントは考えていました。そこに他者の存在,複数の目がなければ,自分では考えているつもりでも,数学の問題を解くように処理しているにすぎないと指摘しています。
・私たちが普段「考えている」と思っていることのほとんどは「思想」ではなく,機械的処理。無思想性に陥っているのは,アイヒマンだけではないのです。【p.190-191】

・本当に「考える」ことができているでしょうか。実は既成観念の堂々めぐりを「無思想に」処理しているだけではないでしょうか。
・自分と同じような意見,自分が安心できる意見ばかりを取り出して,「やはり」「みんな」そう考えているのだ,と安心して終わっている

・そもそも異なる意見,複数の意見を受け止めるというのは,実際には非常に難しい
・(自分と同じような意見は)「分かりやすい」
・深く考えなくても,分かった気になって安心できる

・「分かりやすさ」に慣れてしまうと,思考が鈍化し,複雑な現実を複雑なまま捉えることができなくなります。【p.192-195】

終章

・日本でもプチ・アーレント・ブームになった時,(中略)あまりに簡単に共感する人が多いのを見て,正直言って,これでいいのかなと思ってしまいました。
・二項対立思考はダメだと言っている人自身が,二項対立思考しているというのはよくあることです。【p.201-203】 

・私たちは“議論”すると,往々にして勝負感覚になります【p.220】

・真摯に答えようとしたら,今までの自分を否定しないといけないので,聞いていて辛い,と思えるような対立意見をよく聴き,相手の考え方の原理を把握する。そこからしか,アーレントの言う意味での「思考」は始まらないのではないかと思います【p.220】