A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

共生社会への希求

今回読んだ本

共生の現代的探求―生あるものは共にある

共生の現代的探求―生あるものは共にある

 

「共生」に関する本を読んでみたいと思って手に取ったのだが,学のない私には難しすぎたため,全編読むのはギブアップ。来年あたりリベンジしてみたい。

ひとまず,序章の部分から参考になった記述を。

社会的共生の希求

・「共生」の概念は,元々,生物が生存競争をしながら依存しあう関係をとらえる方法として生まれているが,ここでの「共生」はそうした自然アナロジーではなく,社会の生産現場や教育現場における“社会的関係としての共生”を指す。

・資本制の発展とともに,人間において物象化が進み,アトム化されて均一化が進んだ。専門分化が進むが,それは均一化の中の一形態ーー差異化ーーにすぎない。しかし,そうした近代社会の人間均一化を通してこそ,「共生という関係性」が生まれている。それは近代のアンチテーゼとしての共生社会への希求・接近という性格を帯びている。今日の社会が剰余価値(利潤)だけを追求することでは破綻することが段々と明らかとなり,人びとが共に生きる,あるいはともに生かし合う・共に生かされるという「共生の価値」を求めざるを得なくなっているのである。

共生論アプローチ

・論点の一つ目は,個と全体の関係としての共生(共同的包容)

・もう一つの共生は,互いに異質な(差異的な)ものーー均一化のなかの差異性をいう(俗に差別化と呼ばれる)--としてあるがゆえにこそ,その差異を保持しつつ共存したり,差異を相互に生かし合って関係が変化していくような共生(差異的包容) 

・共同的包容→“One for All, All for One."が,共同性の一つの理想主義的表現といえる。前の“One for All"=すべてのために役立つ私という存在は,現代の共生関係の起点になり得る。まずは個人が他者に貢献するあり様を問わねばならない。

・そもそもOne for All, All for One.とは,個と全体の結合であるが,個が個人的存在であると同時に,社会的存在でもあるという二重性において成り立つ。そして「共生」はまさしくそれを実践的に可能にしている状態。

・差異的共生→たとえば障害者は人間や生命体が差異的に扱われているとの一つの認識の中に位置している。

・差異的包容は,異質なものの関係として排他的に扱う差別思想へと昂進させる社会的圧力に従わせることーーしれはもはや差異を超えた真正の差別ーーもあれば,またそれとは反対に,それを同一性の中の差異として受容し,むしろ共生の力として生かし合う関係に発展させることも可能

・社会的共生が成立するところには,必ずや人間における価値や倫理など価値的な判断が存在する。それを学問としてもとらえることが必要であり,その意義に目を向ける必要がある。我々は,「共生」が単なる思想・使命・志向性として成立しているという観点から離れ,人間の価値的な関与や関係性をとらえることに重要な意味がある。

・社会的共生の研究には,共同性(共同的包容)と差異性(差異的包容)という物差しをあててみること,さらに人間における共生の価値的なものを照射する方法が有効と考える。

競争・排除から社会共生へ

・今日的な日本やアメリカでは,自由放任と競争を原理とする新自由主義が展開されている。人びとは「競争」それ自体を,自由の響きによって,あるいは生物学的淘汰性の受容の意識から,社会の規範的価値として受け止めようとはする。

・私たちは,競争を前提とする社会を必ずしも是として受け入れているのではないのである。ましてや,弱者が排除されることを決して良しとはしない。他者との競争,他者からの排除ではなく,他者との共生(共に生きる,共にある)を求め,他者によって生かされ・必要とされる関係性の“豊かさ,心地よさ”を実感する人たちが増えている。個としての競争・排除から共同や共生へ,という流れは確かに存在する。社会共生は,社会的個人の自由,平等,所有,ベンサム(功利)を,新しい時代にふさわしい形で実現する可能性をもっていると考えられる。