「正常性バイアス」の再考
目次
- 正常性バイアスとは何か
- なぜ、人間は正常性バイアスを持つのか?
- 逃げ遅れの心理としての「正常性バイアス」(一般向けの記事)
- 正常性バイアスを防ぐために
- 正常性バイアスの議論を再考する
- リアリティの共同構築をめぐって
正常性バイアスとは何か
何らかの異常事態が起きた時、「これは正常の範囲内だ」と思い込んで平静を保とうとする心の働き
なぜ、人間は正常性バイアスを持つのか?
日々直面するさまざまな出来事。その全てに心を反応させていると、不安や恐怖を感じ過ぎ、神経が持たなくなる。そのため、ある程度の事象に対しては自らの経験などをもとに「これは正常の範囲内であり、特に反応する必要はない」との判断を下し、平静を保つ。このメカニズムが「正常性バイアス」である。
「正常性バイアス」は、人間が心の平安を保つために必要なものである一方、災害時などにネガティブにはたらくリスクがある。
逃げ遅れの心理としての「正常性バイアス」(一般向けの記事)
正常性バイアスを防ぐために
防災システム研究所の山村武彦所長は次のように述べている。
「素直になれるかどうか、です。警報や周囲の注意喚起を、素直に受け入れることです。そのためにもまず、人間には正常性バイアスなどの心理的傾向があるということを知り、自分の中にもそれがあるのだと意識することが必要です。もう一つ重要なのは、自問自省することです。災害時だけでなく、日頃から『今自分はバイアスにとらわれていないだろうか』と意識することで、行動が変わってきます」
「率先避難者」の存在の重要性を挙げているサイトもあった。
このような状況において被災地の住民がうまく逃げるためには「率先避難者」が重要になります。率先避難者とは災害時に自ら率先して危険を避ける行動を起こすことができる人です。
率先避難者が避難することでその周りにいる人にも危険なのだと認識させることができ、結果として周囲の人たち全員が危機意識を持って避難することができます。
正常性バイアスの議論を再考する
矢守(2009)は、「正常化の偏見」(正常性バイアスと同義)という概念を理論的に検討している。
要約より
「正常化の偏見」については、実際には、事後(災害後)のsense-makingが大きく関与している事象であるにもかかわらず、事前(災害前)のdecision-makingのメカニズムを説明する概念として転用する混乱が生じていたと考えられる。そこで、まず、このような転用が生じるのは、「こころの前提」、「危機評価の前提」、「役割分担の前提」という3つの前提の上に立ってわれわれが事態を認識するからであることを指摘する。その上で、転用によって、現実に展開されている防災実践にどのような影響が出ているかについて、功罪両面にわたって分析する。最後に「正常化の偏見」に代わるsense-makingのあり方として、「リアリティの共同構築」を提起し、それが防災実践をどのように変革しうるかについて具体的な事例を挙げながら考察する。
3つの前提とその批判
①こころの前提
・人間が示すふるまいの前には、必ず、そのふるまいの原因となるような心的状態ーー認知や判断と称される心の働きーーが論理的にも時間的にも先行しているはずだと考える前提②危険評価の前提
・災害対応に関するふるまい(避難する、避難を命じるなど)においては、必ず、危険性や緊急性に関する評価や判断がそれに先行しているという前提
・そうした主体(人間)による評価や判断が、それに対して起こるような「真の危険性」が、あらかじめ客体(環境)の側に備わっていると考える前提③役割分担の前提
・「危険評価」を主導する役割を担う者、それを伝達する役割を担う者、それを単に受容する役割を担う者といった役割分担が仮定されている前提
矢守(2009)はこれらの前提に対してそれぞれ批判的に検討している。
ここでは、矢守の言葉を借りながら、簡潔に記したいと思う。
(1)「こころの前提」への批判
実際の当事者がdecision-makingを行う場面においてフローチャートに従ったかのような鮮明な心的プロセスが意識されているとは考えにくい。
むしろ、事後調査において"decision-makingの内実を構成するとされる要因"が質問項目という形で当事者に知らされることにより、当事者は(災害時に)どのようにdecision-makingをしたかというsense-makingが行われる。
そして「正常化の偏見」が社会的に広まり、調査が行われるほど(当事者のsense-makingの仕方が固定化され)decision-makingとしての「正常化の偏見」が強固なものになっていく。
(2)「危険評価の前提」への批判
実は「真の危険性」を伝達しているはずの防災情報を豊富かつタイムリーに提供しても、それほど多くの人命を救えないと考えられている(例として、牛山・金田・今村(2004))。まず、実際の災害時におけるdecision-makingの要因は決して「危険評価」だけではないことが示唆される。更に、災害時に、“防災情報を得るために待ち続けていた”という当事者の行動からも、防災情報の限界性がうかがえる。
(3)「役割分担の前提」への批判
ここで指摘されているのは「一般の人びとを、防災情報を受動的に受容してそれを処理するだけの役割に固定してきたことが、事前のdecision-makingにおける『正常化の偏見』という理解を助長してきた」ということである。これを解消する一つのあり方が前述の「率先避難者」である。率先避難者にはdecision-makingが存在しない。つまり、decision-makingではない視野から防災実践を捉える必要があるとしている。
リアリティの共同構築
今何が起こりつつあるのかというリアリティを、地域住民、災害NPOのスタッフ、自治体職員、そして、むろん災害の専門家も関与して、共同構築しようとする姿勢
矢守(2009)は、この共同構築によって「正常化の偏見」と称される心の働きそのものには影響を及ぼすことはできないかもしれないが、早期避難という現実的な問題に対してのこれまでとは異なる解決の方向性を示していると述べている。
引用文献
矢守克也. (2009). 再論―正常化の偏見. 実験社会心理学研究, 48(2), 137-149.
リアリティの共同構築をめぐって
最後に、「リアリティの共同構築」をめぐる一つの記事を取り上げて本稿を終えたい。こうした問題に対してどう考えるべきだろうか。
震災時に広まるニセ情報には、2種類ある。1つ目はノブさんのように誤解や伝聞により、間違った情報を広めてしまうパターンだ。
そして、もう1つのパターンは、愉快犯による悪意を含んだデマだ。
なぜ震災時にはこうしたニセ情報やデマが広まるのか。その理由について、アメリカの心理学者のゴードン・オルポートは、「流言(デマ)は、内容が重要であいまいなほど広がりやすい」としている。災害時、人々は不安で興奮しており、情報が不足した環境でつねに情報を欲している状態にある。このような心理状態がデマの拡散に拍車をかけるわけだ。