A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

優生思想の歴史(世界)

世界における優生思想の大まかな歴史を、吉岡(2018)をもとに追っていきたい。

 

1.優生学の誕生

優生学とは、「人類の遺伝的素質を改善することを目的とし、悪質の遺伝形質を淘汰し、優良なものを保存することを研究する学問」広辞苑)である。1883年にイギリスの遺伝学者ゴールトンが首唱した。

 

2.優生学の台頭

20世紀初頭の10年間に、優生学が重要なイデオロギーと社会運動として誕生し、家族の中に精神病者がいることが子孫に欠陥を残すことにつながるという考えが広がった。退化的「痕跡」は子孫に伝わり、その程度は世代を追って増幅すると考えられた。

 

3.積極的優生学と消極的優生学

優生学には、理論上、よい形質を積極的に増やそうとする積極的優生学と、悪い遺伝形質を抑えようとする消極的優生学がある。積極的優生学は個人の意思として行動するのは可能だが、政策として実行に移すのは人間の場合困難である。それゆえ現実に実施されたのは消極的優生学で、その代表的なものが断種法の制定である。

 

4.ウィンストン・チャーチルの言葉

ウィンストン・チャーチルは、第二次世界大戦中と戦後に2度イギリスの首相を務めた著名な政治家である。彼は、1910年当時、内務大臣の任にあったとき、「我々のなかには多くて12万人から13万人の精神薄弱者がいる。」「この大きな邪悪の繁殖と生存を防ぐことは、何にもまして重要である。」と発言している。

 

5.知能検査の開発と利用

知能検査は20世紀初頭、フランスのビネーによって、児童の全能力の教育を進展させるための実践的な道具として開発された。一方、知能検査はアメリカに渡り、優生学者によって精神欠陥者を識別して隔離するための道具として取り入れられた。 

 

6.精神薄弱(知的障害)の断種

アメリカ合衆国では、精神薄弱者と精神病者の非公式な断種が1890年代に始まった。アメリカにおける最初の公式な断種法は、1907年にインディアナ州で施行された。第二次世界大戦の勃発までに、アメリカの31州が、法律上、精神薄弱者の断種を認めた。

 

7.断種の背景(アメリカ)

1930年代までにアメリカの州立施設は精神病者と精神薄弱者であふれかえっていた。当時の被収容者数の増加は、社会福祉国家の誕生によるところもあった。精神薄弱者を援助するために多数の貧民収容施設が設立されたのである。障害のある被収容者を保護観察のもとで退所させるため、多くの施設で「保険」として断種が実施された。

 

8.世界恐慌と断種法(ドイツ)

ドイツでは、第一次世界大戦(1914年~18年)と世界恐慌(1929年~33年)の痛手をこうむり、福祉コストを削減していかねばならないという切迫感が生じていた。そうした状況の中、1933年、ナチス政権(ヒトラー政権)が発足し、同年、遺伝病子孫予防法(断種法)が成立した。

 

9.T-4作戦(ドイツ)

1939年9月1日、ヒトラーは、ドイツの様々な精神病院に長期入院していた人々を「安楽死させる」計画を許可する内部文書を側近に送付した。その年の10月、すべての健康管理施設は、身体障害・精神障害のすべての患者数を記録し、国に登録することが義務付けられた。施設の医師たちの多くは、国家登録は、戦争へ従事できるかどうかを判断するためのものであると信じた。政府から委託された専門家たちは、症例簿を検討し、3人の医師の承認を受けた後、患者を「安楽死させる」か否かの判断を下した。この通称T-4作戦は、1941年8月に終了したが、7万人から9万5千人の精神・身体障害のある大人と5000人の児童が殺されたとされている。 

 

 【引用・参考文献】

吉岡恒生. (2018). 優生思想に関わる特別支援学校教員の意識―講義後の質問紙調査を用いて―. 愛知教育大学研究報告. 教育科学編, 67(1), 103-111.