A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

子どもから見た優生学(メモ)

今回読んだ論文

柴嵜雅子. (2013). 子どもから見た優生学. 国際研究論叢: 大阪国際大学紀要, 27(1), 59-72.

本論文は「子ども」という視点に立った上で「優生学」を論じている。興味深かった視点をここで書き残しておきたい。

優生学

・ナチズムとの同一視は優生学の理解を歪めてしまう。
・(優生学は)欧米だけでなく日本やブラジル,ロシアにも広がっていった。
優生学は政治的な保守派からフェビアン協会のような革新派まで幅広い支持を受け,
・学者の営みではなく(中略)一般大衆をも巻き込んだ運動であった。

優生学と人種主義は,原理的には別の主張である。
優生学の研究者や支持者は,あくまで遺伝学の知見に基づく生殖管理による実施を目指していた。
・戦争は,究極の逆淘汰として優生学者がもっとも忌避していた

優生学を推進したのは人類退化の恐怖と社会改善への希望
・「いわゆる優生思想は,ナチスなど,特殊な歴史的拘束に囲い込まれた過去のおぞましい偶発的逸話というよりは,きわめて古くから存在し,今後,新たな相貌のもとに現れ直してくる可能性の高い思想だと考えた方がいい。それは、自己凌駕の力動性を抱え込む人間性の根幹に関わるもの,世界に対する一種の態度・欲望の発露なのである」(金森, 2007)

優生学の問題点

①強制
・「リプロダクティブ・ライツを無視した国家の横暴」 
・WHOの報告は,とりわけ障害者の人権が軽視され,社会的支援もあまり受けられなかった時代,親と障害者の利害関係が対立し,障害者にとって親が最大の敵にもなった日本の事情を全く考慮していない。

②「優秀」「適者」の内実の恣意性
優生学者やその支持者はしばしば上流中産階級の自分たち自身を理想化し、貧者や障害者やマイノリティーを遺伝的に劣った「不適格者」とみなした。
・時代と共に生活環境も変化し,それとともに「適者」も変わる。
優生学者が特定のタイプを「優秀」とみなし,それ以外のタイプの存続
を不可能にしてホモ・サピエンスの多様性を減少させることは,危険でもある。
生活保護や医療費補助といった制度がなく、ある人が何らかの障害ゆえに生活苦に陥っても家族が全責任を負って面倒をみることになっているなら、政府はどのような国民がどのような子どもを産もうと無関心でいられる。しかし国家が福祉政策を実行するとなると、経費や援助者確保のために、援助を受ける側の数に神経を尖らせることになる。

③非科学性
・旧優生学が基礎にした遺伝学は、ヒトを含め様々な生物のゲノムが解読された21世紀の視点から見ると、間違いも多かった。何と言っても当時の遺伝学では、遺伝子型は表現型から想像する他なかった。
・本当に問題となる遺伝子を受け継いでいるかも分からないまま、手術を受けた人が大勢いたに違いない。

子どもから見た旧優生学

・生まれてくる子どもの立場に立つと、それは十全な養育力を期待できない人、親としての責任や義務を果たせそうにない人が子どもを作り、その結果、子どもに危害を与えることを予防する
・旧優生学が生み出した法や政策は児童福祉に貢献しうる
・患者の隔離を規定する法律が施行されているかぎり、それでもあえて子どもを産むことは、養育環境を考えない、きわめて無責任な行為になっていたのである
・健全な環境で育つ子どもの権利を守るとも言える

親になる資格

・生まれて来る子よりも親の希望がつねに優先され、生殖補助医療の発展とともに、卵子代理母の利用も始まった。生き残って子を残す、というのは生物としての基本的欲求
・しかし他者である子に重大な危害を与える場合は、そのような欲求に基づく権利要求も当然、制限される。

・「偶然から選択へ」移行
・リプロダクティブ・ライツが問題になり、たとえば、そもそも子どもを産むか産まないか、産むなら何人をどれほどの間隔を空けて産むのかを決める権利が、親にあることが当然視されるようになった
・かつてなら「分からなかった」がゆえに許されたことでも、現在では「あらかじめ分かったはず」なので、選択の責任も問われる。
・最新の科学技術に基づく新優生学では、旧優生学以上に、こうした親の責任がより大きく問われてくるのである。

優生学における子どもの選別

・生まれてくる子の質を高めるために、旧優生学では親を選別していたのに対し、新優生学は直接、胎児や胚や前胚を選別の対象とする
・かつては遺伝病や精神疾患などを理由に親のリプロダクティブ・ライツが奪われていたのに対し、今やリプロダクティブ・ライツを楯に、何らかの異常のある子を親が生まないようになった

子どもへの危害

・子の立場からすれば、もっぱら抑制的だった旧優生学は問題ないが、新優生学着床前診断出生前診断で子の出生を回避するだけでなく、選択的に親の好みの子を生む方途も提供するため、危険性が高くなる。子どもにとってだけでなく社会にとっても、促進的な新優生学の方が問題が大きい。というのも、断種や中絶で生まれなかった子は社会に働きかけようがないが、誕生し生き続ける子は社会の一員となり、養育責任の一端を社会も担うからである。
・旧優生学では、特定の価値観を国が強制し、たとえば遺伝的聾は「欠陥」とみなして断種の対象としていた。しかし新優生学では、どのような特性が望ましいかは親が決める。多くの人が「障害」とみなす聾でも、親がそれを「理想的」とみなして聾の子を産むこともできる。
・問題の発生を避ける手段があるにもかかわらず、意図的あるいは不注意により、親がそれを取らなかった結果、子どもに不当な不利益や不要な不幸が生じた場合、その責任を親は取らねばならない。

おわりに

・人間の世界では胎児からインフォームド・コンセントを得ることは不可能だ。しかしだからこそ、子の利益を最大限に考慮した上で、最適の妊娠・出産・養育を行う義務が親には課されるのである。