A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

差別論(1)差別の定義をめぐって

差別の定義(佐藤, 2005)

・「差別」という言葉には両立不可能な2つのイメージが存在している

①差異モデル
「A と B を差別する」といったように、差別を基本的に「異なる扱い」であるとイメージし、2つの異なる集団(社会的カテゴリー)の比較によって差別を明らかにするというモデル

②関係モデル
「A が B を差別する」といったように、差別を基本的に「非対称な関係、もしくは権力関係」であるとイメージするモデル

・両方の考え方を受け入れるなら、「差別」によって「差別」が生じていると言わざるを得なくなる

・そこで、結果の不当性(人権侵害)からの問題構成を「人権論」と呼び、不当な結果を生み出すような原因である行為や仕組みに照準を合わせた問題構成としての「差別論」とは峻別

排除の三者関係モデル(佐藤, 2005)

・排除は共同行為であるが、これを差別者が被差別者を排除するという二者関係ではなく、差別者・共犯者・被差別者の三者関係モデルでとらえる。すなわち、共同行為としての排除は、差別者が共犯者を「同化」し、「われわれ」というカテゴリー化がなされることによって達成される。「われわれ」のカテゴリー化は、非対称な差異を作り出し(他者化)、「われわれでない者」(被差別者)を「見下す」。

★文献リスト

・佐藤 裕(2005)『差別論ー偏見理論批判』(要旨:https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/47196/20726_%E8%A6%81%E6%97%A8.pdf

・亘 明志・佐藤 裕(2007)書評 佐藤裕 著 『差別論--偏見理論批判』. ソシオロジ, 51(3), 178-185.(https://doi.org/10.14959/soshioroji.51.3_178

 

差別の定義をめぐって(野口道彦の考察)

www.pref.osaka.lg.jp

(pdf→http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/1418/00121109/02_kyozai_9_ronbun.pdf

・差別とは、「(1)個人の特性によるのではなく、ある社会的カテゴリーに属しているという理由で、(2)合理的に考えて状況に無関係な事柄に基づいて、(3)異なった(不利益な)取扱いをすること」と定義できます。しかし、このような定義で、ある行為が差別かどうかという判定が、すぐにできるということではありません

・差別とみなさない側は、(1)と(3)との関係を、理にかなったものだと考えています。逆に、「差別だ」と訴える側は、(1)と(3)との関係を不合理なものだと考えています

・ある行為が「差別である」として糾弾の対象となるのか、それとも、「単なる区別」だとして問題にならないのかは、社会規範がおおいに関係しています

・社会規範は一枚岩ではなく、集団によっては社会全体の規範と異なる集団規範が維持されていることがあります

差別の種類

・社会規範との関係でみると、差別は3つのタイプにわけられます。第1は合法的「差別」、第2は社会的差別、第3は個人的差別です。

・合法的「差別」というのは、「差別」をすることが社会規範によって広範な人々に支持されているものです。これは、そもそも正しい行為とみなされているのですから、その社会では「差別」とは認識されていません。このタイプのものを合法的「差別」と呼んでおきましょう

・社会的差別は、区分されるシンボルとして、民族的もしくは社会的出身、人種、皮膚の色、性、言語、宗教などさまざまなものが持ち出されることになりますが、見落としてはならないのは、差異自体に意味があるのではなく、その背景には力関係におけるアンバランスがあるということです。力関係の優位な立場から、マジョリティは異なった取扱いをすることを正当化する論理をでっちあげてきました

・差別を支持・正当化するような集団規範さえも存在しなくなると、差別は個人レベルでのみおこなわれるようになります。これを個人的差別ということにします。個人的差別とは、差別を正当化する論理が誰からも支持されず、単に個人レベルの好き嫌いといった程度になったものをいいます

・アルベール・メンミは、「人種差別とは、現実の、あるいは架空の差異に、一般的、決定的な価値づけをすることであり、この価値づけは、告発者(引用者注:人種差別主義者)が自分の攻撃を正当化するために、被害者を犠牲にして、自分の利益のために行うものである」と指摘

・社会的差別は一方の極を合法的「差別」とし、他の極を個人的差別とするスケールの中間にあって、差別を正当化する集団規範の有無、強弱によって変わるグラデーションの領域

差別意識・偏見

差別意識は、大きくわけて、個人の態度のレベルと文化に組み込まれた差別意識のレベルでとらえることができます

・「(1)ある集団に属しているということで、個々の違いを見ずに、一面的な見方、カテゴリカルな一般化をし、 (2)嫌悪など感情を含み、(3)それに食い違う情報に接しても、見方を変えようとしない硬直した態度である」というのが、一般的な偏見の定義

・『権威主義的パーソナリティ』は、幼児期の体罰をともなった厳しいしつけに原因があり、厳しい体罰を受ければ本来もつはずの敵意が、絶対的に親に依存している幼児の場合、それを表現することができず、憎しみの感情が抑圧され、親に対しては従順な態度をとり(権威主義服従)、伝統的な価値を脅かす社会的弱者に対しては攻撃する傾向(権威主義的攻撃)が生まれる

差別意識を個人の特性で考えると、差別するのは一部の「異常な人」という見方になりますが、差別意識を文化に組み込まれたものと考えると、差別するのは、その文化を従順に身につけた「優等生」という見方になります。人数も少数ではなく、多数の人々になります

・差別という言葉で行為も意識も結果現象もあらゆるものを含めていますが、少なくとも差別行為と差別意識は区別して考えなければならないでしょう。差別をするのは、差別意識をもっているからだと単純に考えてしまいがちですが、必ずしも差別行為と差別意識は一致しているとは限りません(図)

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