A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

対立を乗り越える心の実践(読書メモ)②

読んだ本

対立を乗り越える心の実践: 障害者差別にどのように向き合うか?

対立を乗り越える心の実践: 障害者差別にどのように向き合うか?

 

第3章

生の問題として〈対立を乗り越える〉を考える(岡原正幸)

現代社会について

今の社会が何を求めるか,今の社会がどのような方向にあるのかによって,そもそも何が障害になるかも変わるという話ですが,たとえば今,この国の首相が「一億総活躍」などと言っていますが,そこでは活躍しない人たち,活躍しにくい人たち,活躍できない人たち,活躍したくない人たちは全部一億からは排除されるわけです。そうした言説が堂々と言われてしまうような社会です。

 

「対立」とは何か

・社会において何かが対立だと名指されたとき,そこで何が起きているのか,少し距離をとって冷静に考える必要がある。どういうことかと言えば,その対立,あるいはそれを「対立」だと名指すことによって,得をしている人が必ずいるからです。
・自分自身も含めて,私たちはそうした利害や権力の関係から全く独立しては生きられないことを忘れてはならない

 

差別・偏見をめぐる「公私」の問題

対立を乗り越えるという点で社会にとって何が必要かと言えば,公の場面で差別的に振る舞い,障害者や少数者を抑圧するといったことが起きないことです。(中略)しかし,公の世界と私的な世界という区分けは,(中略)現実には,とても微妙な問題です。

 

「ラベリング」の課題に気づく

・私たちは常にカテゴリーで自分も相手も名指そうとします。しかしカテゴリーで名指したときに,取りこぼすものは何なのか,考えていかないといけません
・個別性を切り捨てて単一のラベルを貼って物事を見てしまうと,世界は,起伏のない,とても単調なものになってしまうでしょう

 

問題は「生きにくさ」

・効率こそ大事だと考えるこうした社会の変化に左右されて事が進んでいることを自覚する必要があります。特に,私は感情管理社会と呼んでいるのですが,サービス化された今の社会の中で,私たちはさまざまに自分を律することが求められ,とりわけ感情のコントロールが要求されている。そのレベルは大変に強く,それが生きにくさとして現れていると思います
・逸脱者を自分でつくっておいて,では包摂しようという,それこそ大変な手間です。そもそも逸脱者を出さなければいいわけです。
・この国は明らかに個別に対応できるようなことも,全て社会的に集団として何とかしようと考える。その意味では,社会主義的というか,管理化が非常に進んだ国です。

第4章

討論

ラベリングをめぐって

・ラベリングする,カテゴリー化することによって,その人たちにどういった支援が必要であるかとの視点を設けることができる(中略)一方で,違う人間であると判断されて排除されていくということも同時に生じる。→差異のジレンマ
・障害者というカテゴリーを使わないようにするというよりは,それを適切な形で使うようにしていく。そのためには,それぞれの場面で相手がどういう文脈で存在しているのかを意識することが大事でしょう。
発達障害と診断されることでホッとした,ポジティブに感じられたという経験
→「怠け者の健常者」というラベルから「頑張っている障害者」へ。
→集合的なアイデンティティの獲得
→「しつけ,教育の失敗,親の人格の問題」といった解釈からの変更

 

差別や偏見の解決

・差別や偏見の問題を,誰かを救うというのではなく,自分の問題として考える
・自分自身の価値を捉え直していくことが,最終的に偏見や差別の対象の人たちにどう接するかという問題をつながっていく→自分が生きやすくするためにはどうすればいいのか考えていく
・社会のありようが変われば,突然,自分自身に差別や偏見の矛先が向かってくる

 

差別や偏見の体験を語る

・まずは差別があるということを自覚して,その差別をしてしまう自分に自己嫌悪や罪悪感を感じることが,是正に向けての動機になっていく
・特定の偏見とか差別というのは,(中略)特定の時代状況とか社会的文脈との関係で生じていることであるはずなのです

 

「助ける」を考える

・(手助けというものがなくなることよりも)他者が必要としている手助けを当たり前に行えるような関係性がメインストリームの社会の中で実現するのが,本当は望ましい
・弱者だから助けるのではなく,手助けを必要としているのだから助ける

 

「対話」を考える

・言葉のやり取りによって,ではどういう配慮なら最低限可能か,その落としどころをお互いに見つけていくプロセスの結果として,配慮の内容が特定されていく
・日本は近年コミュニケーション能力が大事だとさんざん言われているのですけれども,聞く側の能力についてはほとんど議論されていないことが問題だなと思っていて,合理的配慮が義務づけられたということを機に,対話において,相手の言うこと,相手のニーズというものをどう聞き取るか,受け止めるかということを,社会の共通の振る舞いとして普及させていくことができないかと考えています