行動遺伝学の教科書から学ぶ
はじめに
最近は行動遺伝学の倫理問題に目を向けているわけだが,行動遺伝学という学問について知らないままで論じることは不適切であり,少しずつ読むことに決めた。今回は第1章を中心にみていく。
行動遺伝学を研究する目的
発現する場所もその機能も多様な遺伝子について明らかにする「行動遺伝学」という学問のもつ意義について第1章では指摘されている。
(1) 進化メカニズムの解明・理解
・行動は,種の進化において重要な淘汰圧の対象となる
・「行動がいかに遺伝するか」,「その遺伝的基盤はどのようなものか」という問いに対する答えを明らかにすることは,進化のメカニズムを理解することにもつながる【p.4-5】
(2) 家畜育種の遺伝的基盤の理解
・家畜化(domestication)などの選択交配は,集団中の遺伝的多様性がどのように家畜化のプロセスに関わるかを理解する上で重要な情報をもたらす
・行動遺伝学は家畜育種の遺伝的基盤の理解にも不可欠【p.5-6】
(3) 身近な疾患や形質の遺伝的基盤の解明
・ヒトの形態や体質などの多くの形質も単一遺伝子には起因していないことがわかってきた
・最近では,行動や性格の個人差に加えて,認知症(dementia),統合失調症(schizophrenia),小児の自閉症(autism)や注意欠陥/多動性障害(ADHD)など,多因子により制御され,より身近で頻度の高い疾患や形質の遺伝的基盤の解明が求められている【p.9】
・他のモデル動物で得られた知見を利用することで,ヒトの精神疾患や異常行動の遺伝的要因の解明に結びつけようとする研究【p.10】
(4) 神経回路や分子ネットワークの理解
・行動遺伝学は,行動を制御する神経回路や分子ネットワークを理解するためのアプローチとしても重要な研究分野【p.10】
(5) 遺伝的要因と環境要因の役割の区別
・行動や性格形成における遺伝的要因の役割と経験や生活習慣などの環境要因の役割を区別し,これらの要因がどこまで関与しているのか明らかにすること
・どのような環境要因が行動や性格に影響を及ぼすのか理解すること【p.11】
研究倫理をめぐって
・ゴールトンは,行動・性格・能力といったヒトの形質における遺伝的要因の解明を果敢にも目指し,行動遺伝学の発展に寄与したのであるが,その一方で遺伝学に対する負の影響も及ぼした
・彼は,1883年に著書の中で,優生学(eugenics)という言葉を初めて用い,「一般の生物と同様に人間の優良な血統を速やかに増やす諸要因を研究する学問的立場」として定義
・その後に優生思想の暴走をもたらすことになり,ゴールトンはその死後において,優生学の生みの親としての非難を受ける
・メンデルとゴールトンは陰と陽,表と裏が入れ替わるメビウスの帯のように,彼らの研究内容にしてもまたその評価にしても,時代と共に入れ替わる不思議な因縁をもつ関係にある【p.8】
・「生まれ」と「育ち」の問題は,研究において両者の分子メカニズムを解明することも含めて,今後さらに研究が展開してゆくと期待される。しかし同時に,こうした知見は,一般社会に深く根差した思い込みや,ヒトの育児・教育などの問題とも関係しているため,研究者は今後も慎重に検討しつつ,研究成果を正確に社会に発信することが必要であろう【p.12】
行動遺伝学の”教科書”ということもあり,価値判断を含まないニュートラルな言論である。個人的にはむしろ過去の優生学とのはっきりとした決別をはかっておいたほうがいいとも思うのだが...難しいところである。