A Critical Thinking Reed

学んだことのメモ。考えたことの記録。主に心理学。

恋人を欲しいと思わない青年について

これまでの恋愛心理学の研究では「恋人を欲しいと思うのは当然」という認識のもとで,実際の恋人に対する調査が中心に行われてきた。しかし,現代社会においては,恋愛願望が高くない(持たない)青年というのも一定の割合で存在することが指摘されている。たとえば,髙坂(2013)は,全国の大学生1530名に対して質問紙調査を実施しているが,307名(20.1%)が恋愛不要群であることが指摘されている。実を言ってしまえば,私自身も「恋人を欲しいと思わない青年」の一人である。

早稲田大学で「恋愛学」という講義を開講している国際政治学者の森川(2015)によれば,現代の若者はコミュニケーション能力が低いため,恋愛したくても恋人ができず,そのようななかで,恋愛の楽しさを認めてしまうと,恋愛ができない自分がみじめになるため,「恋愛は面倒くさい」などいう言い訳を並べ,恋人を欲しいと思わないことで自己正当化しているという(髙坂, 2018)。私は別に,恋愛ができない自分をみじめに思っているわけでもないし,自己正当化しているつもりもない。かつて恋人がいたこともあるが,今の自分は恋愛をしたいわけではないという状況である。森川(2015)がどのような調査をしてこのような見解を示したのかは分からないが,自分の知り得る(他の知り合いも含めた)「恋人が欲しいと思わない青年」の特徴に合致しているとは言い難く,そもそも恋人がほしくない理由がたった一つで説明できることも理解できない。まぁ,国際政治学者がなぜ「青年の恋愛」を偉そうに語っているのかよくわからないし,しかもそれが合っていないとなれば,学問どうこうの前に非常に不愉快である。

*森川(2015)について書かれているブログがありました。→(恋愛しない若者たち<識者はどう見る?> : わたしが思うこと...あれこれ..

そういう意味では,本稿で紹介する髙坂康雅先生は,先に紹介した髙坂(2013)や髙坂(2018)をはじめ,恋人を欲しいと思わない青年に対しても非常に丁寧な分析をされている。そこで,本ブログでは,髙坂(2013)をもとに,恋人を欲しいと思わない青年がなぜそう思うかについて述べていきたい。

今回の論文

髙坂康雅. (2013). 青年期における “恋人を欲しいと思わない” 理由と自我発達との関連. 発達心理学研究, 24(3), 284-294.

自分自身のこと

学術的でない体験談から述べていく。なぜ,私が恋人を欲しいと思わないか。理由は実際のところ「なんとなく」なのだが,そう言ってしまうと埒が明かないので,自分なりに考えてみると,いくつかのポイントに集約される。

一点目は,昔の恋人への意識だろうか。(相手がいまどう思っているのかは知らないが)自分としては感謝の思いも大きいし,そんなに悪い関係性ではなかったと思っている。喧嘩もしたが。楽しかった思い出もある。そんなことがあってか,どこか次の恋愛に向かおうという気持ちが弱いのかもしれない。

二点目は,これが一番大きい気がするのだが,恋人との時間を過ごす余裕がないという点である。デートする時間があるくらいなら論文を読みたいし,本を読みたいし,自分の時間を過ごしたいという思いが強い。さらに言えば,恋人と過ごせるような金銭的余裕もないと言えるかもしれない。その時間があればバイトに充てないと十分な生活はできないような状況である。

三点目は,人間関係(全般)にエネルギーを注ぎたくないという気持ちである。高校時代,彼女がいた頃は連絡も多くとり合っていた。裏を返せばその分,彼女との時間を大事にしていただけでなく,自分のエネルギーも彼女のために使っていた。他の友だちとも密に連絡を取り合っており,人間関係にたくさんのエネルギーを注いでいた。しかし,現在は一人暮らしということもあり,エネルギーについてもある程度節約して生きていかなければ厳しいという思いがある。そうなってくると,人間関係において余計なエネルギーを使いたくないので,人間関係を全般的に希薄化させる方向に意識が向いているような気がする。無論,恋人に対してもエネルギーを使いたくないので,恋人を作ろうという方向には気持ちが向かないのである。

髙坂(2013)の見解

髙坂(2013)によれば,恋人を欲しいと思わない理由は大きく6つに分類できるという。

1つ目が「恋愛による負担の回避(負担回避)」であり,恋人がいることによって生じる,精神的,時間的,経済的負担を回避したいという心性である。

2つ目が「恋愛に対する自信のなさ(自信なし)」であり,異性に対する魅力や異性との付き合い方に関する自信が持てていないというものである。これは,森川(2015)の指摘にも当てはまるだろう。

3つ目が「充実した現実生活(充実生活)」である。やりたいこと,やらなければならないことや友人との交遊などで充実した日々を送っているものである。

4つ目が「恋愛の意義の分からなさ(意義不明)」である。これは,恋愛をする意味や価値を見いだせない心性である。

5つ目が「過去の恋愛の引きずり(ひきずり)」であり,これは以前の恋愛を忘れられず,次の恋愛に向かう気持ちになれない心性である。

6つ目が「楽観的恋愛予期(楽観予期)」であり,恋人は自然な流れで,そのうちできると思っている心性である。

そして,これらの理由項目から5つのクラスターを得ている。第1クラスターが「負担回避」「意義不明」が最高で,「自信なし」「充実生活」なども高い「恋愛拒否群」,第2クラスターが「自信なし」が最高の,「自信なし群」,第3クラスターが「充実生活」「楽観予期」得点が高めな「楽観予期群」,第4クラスターが「ひきずり」得点が最高の「ひきずり群」,そして第5クラスターが,特別な理由の見いだせない「理由なし群」であった。

尚,髙坂(2018)では,これらの項目を2次元4類型にまとめ直して「積極的回避型」「楽観予期型」「ひきずり型」「自信なし型」と命名している。詳しくは,髙坂(2018)を参照してほしい(髙坂康雅. (2018). 青年期・成人期前期における恋人を欲しいと思わない者のコミュニケーションに対する自信と同性友人関係. 青年心理学研究, 29(2), 107-121.

おわりに

ここまでの議論を振り返れば,自分がおおよそ何群なのかということも分かるような気がする。まぁそんなことはどうだっていい。私がこのブログを書いた目的は非常にシンプルである。「恋人を欲しくない」人がいたら,そのことにもっと自信を持ってほしいということである。森川(2015)が指摘していたような自己正当化という目的だけではない。そんなことを,この髙坂(2013)や髙坂(2018)は示唆している。恋愛をすることだって素晴らしいことだが,恋愛をしないことだって認められていいはずだ。「大人」には分からないのかもしれないが,恋人がほしいと思わない私たちにだってちゃんとした理由がある。それを真っ向から否定しないでほしい。ネガティブに捉えすぎないでほしい。「恋人を欲しいと思わない青年」の一人として強く訴えたい。「自己正当化」というような分かった口を叩くな。自分と違うからって安易にネガティブに捉えたり「おかしい」とか言うな。「少子化」「晩婚化」対策をしたいなら,私たちに不毛なレッテル貼りをする前に,結婚しやすく子どもが生みやすい環境くらい整えろ。恋人がほしくない人を責めるくらいなら,恋人がほしくてもできない人の支援を考えろ。

以上。